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【2021/8/9】人生はダジャレでできている(野田秀樹戯曲集を読んで)

1.野田秀樹「20世紀最後の戯曲集」を読む

今日は図書館に行った。連休中のせいか、大人が多かった。家に居づらいのか、自分の時間を持ちたいのか、光熱費節約のためか、何が理由かは分からないが、大人がたくさん静かに静かに本を読んだり作業に勤しんだりしていた。

光熱費節約のために図書館に出向いたわたしは野田秀樹さんの戯曲を読んでいた。その戯曲集には3本収録してある。「Right Eye」「パンドラの鐘」「カノン」。どの作品も見たことはない。

野田秀樹と言えば最新の公演「フェイクスピア」で涙を流した。自分としては意外な涙だった。ただただ流れる、そこに感情は置いて行かれていた。不思議な感覚だった。

2.Right Eye

「Right Eye」は少し前にすでに読んでいた。戯曲を読むときはどのように舞台化されるのか想像しながら読むのだが、この作品は吹越満、牧瀬里穂、野田秀樹の3人芝居でしかも目まぐるしく役柄も場所も設定も変わる。正直難しかった。内容もよく覚えていない。あらすじは以下のサイトを参考にどうぞ。絶対に間違いのないことは「Right Eye」は「正しい目」と「右目」をかけているという点。

3.パンドラの鐘

まずは「パンドラの鐘」。そもそも「パンドラの箱」が好き。その意味を知った時あまりに感動して、自分の台本にも入れてしまった。

ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)。 彼女が地上に着いたとき好奇心から開けたところ、すべての災いが地上に飛び出したが、急いでふたをしたので希望だけが残ったという。

公演は天海祐希、堤真一、入江雅人、松尾スズキ、八嶋智人など名だたる役者が揃っている。とある採掘場で見つかった巨大な鐘を発端として、古代と現代(太平洋戦争前)と跨いで物語が進む。

そしてこの作品は目を見張る企画が用意されていた。ほぼ同時期に蜷川幸雄演出でキャストも全く別で上演されるという企画が。あぁ恐ろしい(見れなくて悔しい)。そんなことが行われていたことが。

実際に戯曲を読んで、巨大な鐘はどれくらいでどんな形状をしていてどんな向きに置かれているのか。採掘場に掘られた穴はどのように表現されているのか、物語と同じくらい興味がわいた。これほどの戯曲を三次元にするのは並大抵ではないことは明確だった(お金の部分も含め)。

とにかくステージが見たい。そう思ってネットを調べまわった。

すると某動画サイトに上がっていたのでチラ見すると、まぁそれはそれは大きな鐘だった。おそらく5mは軽くある。あぁ大道具さんとか美術さん大変だったろうな。そしてこれを動かしこの周りで芝居するのはとっても楽しかっただろうな。そう思わずにはいられない。

4.カノン

そのタイトルとは裏腹にめちゃんこ時代物。でもその中に現代語が飛び交うのが面白い。そして主役は盗人集団。最初のシーンが最後のシーンに繋がる脚本、いつか書きたい。

派手な立ち回りや銃撃戦が行われたんだろう、そう読んで思った。男を狂わせるのは女で、女を狂わせるのは男。そういう世の常みたいなものもこれでもかって織り込み済みで。結局人々は「自由」を求めるけれど、自由になれないのが現実だったりする。そんな無常を、無情を、露にしてくる。

「カノン」を調べていると、近々上演されることを知った。演出家もキャストも全く異なる。それでも見たい。だからすぐさまチケットを買った。こういうことなのだ。縁とか、タイミングとか。カノンが私に自由を与えてくれるかもしれない。それは事由だろうか、それとも自遊だろうか。いやそれは”銃”かもしれないし、”重”かもしれない。

5.まとめ

野田秀樹は日本が犯してきた罪や悲劇を明るみに引きずり出す。しかも言葉遊びという笑いを孕んで。結局、どの戯曲を読んでも思うのが

「全部ダジャレやん」

ってこと。フェイクスピアでは野田秀樹自身がシェイクスピアのフェイクとなり、ラップという言葉遊びを使って、世間を皮肉った。

パンドラの鐘は戦争と原爆の愚かさを浮き彫りにしつつ、女王の孤独で気高い死を美しくも悲しく表現する様は、宝塚のアイーダを彷彿とさせた(女王役は天海祐希)。今日という長崎平和記念日(長崎原爆投下の日)にこの作品を読んだことは何か意味があるとしか思えない。しかし一方で連打されるダジャレには舌鼓を打った。

カノン。自由と銃だとか、FとTHをスリ替えるだとか、マルクス丸くするとか(読んでない、見ていない人ごめんなさい)、どうしてそんな遊びが次から次へと思いつくのだろうか。

わたしもラップが好きで、言葉遊びが好きな人間だけど、野田秀樹の前にはひれ伏すしかない。日本語の面白さ、他言語との結びつき、そういった「言葉」本来の面白さや魅力を後世に残そうとしているのかもしれない。そういえばフェイクスピアはそういう話だったね。

とにかく、戯曲は楽しい。

そして人生はダジャレでできている。

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