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箱根駅伝初観戦記ー序章ー

箱根駅伝ーー私はその響きが嫌いだった。

 それは、私の高校時代のバレー部の監督が元箱根ランナーだったから。もちろん、高校生の頃はその偉大さを知りもしない。
 私のチームは正月も合宿を行うので、箱根駅伝はいつも移動用のバスで見ていた(見させられていた)。監督の出身は順天堂大学。もちろん名門校だ。順天堂の成績が良くないと機嫌が悪くなり(多分当時の思い込みだが)練習が厳しくなるというような影響が出た記憶がある。
 先生は箱根駅伝のエピソードとして「先生が1年生のとき、メンバーに選ばれなかった4年生が涙を流しながらマッサージをしてくれた」という話をよくしていた。お前たちにその気持ちは分からないだろう、というような説教につながったように覚えている。
 とにかく当時は「箱根駅伝」の話題は大嫌いだった。

取材記事「美談のない箱根ランナー」(2013年5月)より抜粋

箱根駅伝はもちろんのこと走ること自体も嫌いな私だったが、事務所の先輩である森脇健児さんとの出会いから、走る仕事をさせてもらえるようになり(ゲストランナーなど)、ランニングやマラソンが身近になっていった。箱根駅伝も見るようになり、当時は山の神柏原さん率いる東洋大の時代だったので、すんなりとファンになった。

2012年4月、森脇健児さん率いる女性タレントで構成された陸上部女子部のメンバーが東海道五十三次の宿場を京都三条大橋から日本橋までリレー形式で走るという企画の番組「走る男女子部」が始まった。私が2回目に出演させてもらった時の区間が「三島宿→箱根宿→小田原宿→大磯宿→平塚宿→藤沢宿」だった。

あのランナーを苦しめる箱根路を、山下りをするのか・・・と不安もあった。モチベーションを上げるために読んだ三浦しをんさんの「風が強く吹いている」でハートに火がついた。自分は竹青荘のメンバーで、箱根を目指すランナーのような気分になってきたのだ。(詳しくは読んで↓)

ロケでは駅伝と全く同じコースではないが、6区の区間を走ったことになる(間にグルメリポートやアクティビティ体験もあるので)。小涌園ユネッサンや大平台ヘアピンカーブ、名前を呼んで応援する塔ノ沢も全て通り抜けた。小説よろしく風が強く吹いていて、そのシチュエーションに酔いながらも、必死に足を前に動かし続け、無事に走り切ることができた。4日間のロケで、ゴールは藤沢。8区まで行ってたのか…と今さらながら気付いた。

このような経験によって、箱根駅伝は私の中で「なにか縁がある」ものに変わって行った。

それから7年。
ようやく叶った。箱根駅伝を生で観戦するという夢が。

・・・が、その前に!
予選会も観に行ったから、そのことから書かねば。

続く

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