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御者とケンカ

旅のくだらない噺手帖「ミャンマー・ラオス旅編」
前回『シュエダゴン・パゴダと変なオジサン』も是非お読みください。

※御者とは馬車の運転手のことである。

ヤンゴンから夜行バスでバガンへ向かった。

バガンは、ヤンゴンから北へ627キロに位置する。カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡のひとつと称されており、世界遺産にも登録されている。

夜行バスは3列シートで座席は広く、添乗員もいて、軽食のサービスまであった。これで19$(約2,000円)だったら文句は言えまい。とはいえ、夜行バスは夜行バス。ベッドよりは劣る。バガン到着時は、やはり眠たく、身体もだるかった。バガンはまだ薄暗かった。そんな中、タクシーの運転手が私たちを取り囲む。「どこまで行くのか?」と聞いてくる。ホテルを告げると9000チャットと言ってくるが、寝起きで頭が働かず判断がつかない。ホテルへ行くのはもう少しゆっくりしてからでもいいかなぁなんて思っていたところ…

バシャ、バシャ!!

と意味の分からない声を掛けてくるお兄さんが。バシャがどうした・・・バシャ・・・もしかして馬車!?料金を聞いてみるとタクシーよりも安い8000チャットだと!?思いもよらぬ移動手段にテンションの上がった私たちは二つ返事で馬車に乗り込んだ。

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↑ これは私たちが乗った馬車ではない。

御者のお兄さんは、「朝日も見ていくかい?」と聞いてきた。なんとまぁ、馬車に乗れた上に、朝日まで!すっかり気をよくした私たちは「YES!!」と答え、我らがホワイトホース(白い馬の馬車だった)は軽快に走り出した。

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タクシーだったら絶対に走らないであろう、田舎道をグングン進んでいく。馬の蹄の音、鞭の音、頬を撫でる風、そして心地よい…と言うよりも激しめの揺れが眠っていた身体を起こしていく。

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途中、集落を通り抜けた。なかなか立ち入ることができないバガンの人たちの暮らしぶりを垣間見る(本当の意味で、覗く)ことができた。牛車にも「おはよう」と声を掛けてみたりした。

集落から開けた土地に出ると、小高い丘が見えてきた。「あそこだよ」と御者は私たちに言った。

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丘へ登り、東の方向を見ると・・・曇っていた。雲が晴れることを期待して待っていたが、雨季は私たちを見逃してくれなかった。しかし、バガンの遺跡群のシルエットが美しくて、それだけで画になったし、これからこの町を見て回る楽しみが増した。

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↑ 丘から見た集落。

御者も登ってきて、シャッターを押してくれた。私たちが曇りだね、と言うと「雨季だから仕方ありませんね」と弁解した。その後、思いもよらぬ言葉を発した。

料金は、3万5000チャットです。

さ、さんまんごせん!?

腰が砕けそうになった。え、これ道すがらのサービス的な奴じゃないの?それだけ掛かるなら先に言わないとダメじゃね?全く理解できない。これがお前らのやり方かぁ!!とゆいPばりの怒りを覚えた・・・いや、覚えただけじゃなくて、すでに口走っていた。

しかし、こちらの武器は拙い英語。そして、ノーメイク顔の迫力のみだ。持てる単語を駆使し、芝居で鍛えた表情筋を操り、訴えかけてみたり、呆れてみたり、怒りを露わにしてみたり……。御者の兄ちゃんも、自分の言うことは正論だと言わんばかりに反撃してくる。しかし兄ちゃんの英語もクセが強いので全ては聞き取れない。終いには日本語で言い返していた。これは値引き交渉というよりも、ケンカだった。これが世に言う「バガンの丘の口争」である。

ヒートアップした言い争いが終わり、今度は沈黙の膠着状態となった。すると、兄ちゃんが「じゃあいくら?」と折れてきた。その回答を用意してなかった私たちは思わず言った「3万」。5000チャット(つまり約350円)の値切りに成功した。しかし兄ちゃんは信じられないくらい不機嫌になった。その時、ポツポツと雨が降り出した。バガンに眠る仏様たちが、ケンカはおやめなさいと泣いているようだった。

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ホテルに到着し、馬車と記念撮影をした。が、御者はやはり笑っていなかった。。。

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