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【鑑賞ログ数珠つなぎ】アメリカン・ビューティー

ある作品を観たら、次はその脚本家や監督、役者の関わった別の作品を観たみたくなるものである。まるで数珠つなぎのように。
前回:舞台『奇蹟』

https://note.com/marioshoten/n/nbd5770ba9e5d

【数珠つなぎ経緯】

今わたしは脚本のプロットを書かねばならぬ状況にあるのだが、ずっと自分のプロットと向き合っていても限界が来るし、”このままでいいのか”と”もう分からん”を意味するヘドロが脳みその溝の隙間に少しずつ浸食してきて発狂しそうになる。そういう時は「脚本がいい!」とされる名作を見て、少しでもアイデアや閃きというおこぼれを頂戴しようとすることが多々ある。

大抵、脚本家向けのお手本作品というのはリストがあるのだが、その中でも自分が書こうとしているテイストに出来るだけ近いものを見るようにしている。ド派手なアクションものや時代物、CGが多様されるSFモノなどは正直、書いても実現しないし、わたし自身あまり得意ではないので、どちらかというとヒューマン寄り、ラブ寄りのものを見ることになる。

で、今回選んだのが『アメリカン・ビューティー』である。バラの花と綺麗なおへそというビジュアルが印象的で、アカデミー賞も受賞した有名な作品だがちゃんと見たことはなく、内容もピンとこない。ただ、家族がテーマと言うことだけはNetflixの説明を見ると分かる。

【あらすじ】

広告代理店に勤め、シカゴ郊外に住む42歳のレスター・バーナム(ケヴィン・スペイシー)。彼は一見幸せな家庭を築いているように見える。
しかし不動産業を営む妻のキャロラインは見栄っ張りで自分が成功することで頭がいっぱい。娘のジェーンは典型的なティーンエイジャーで、父親のことを嫌っている。レスター自身も中年の危機を感じていた。
そんなある日、レスターは娘のチアリーディングを見に行って、彼女の親友アンジェラに恋をしてしまう。そのときから、諦めきったレスターの周りに完成していた均衡は徐々に崩れ、彼の家族をめぐる人々の本音と真実が暴かれてゆく。(Wikipediaより)

【感想】

ケヴィン・スペイシーと言えば「ユージュアル・サスペクツ」の怪演が真っ先に思い浮かぶ。だが今作での役どころは平凡で冴えないどこにでもいそうな中年おじさんらしい。

「なーんだ、今回は普通かぁ」そう思ったのが間違いだった。

冒頭はホームビデオの映像。「お父さんを殺して」と娘らしき女の子が不機嫌そうに語る。そこからバーナムの人生を諦めたような語りが始まり、文句の多い妻、反抗期の娘、そして彼のクビを切ろうとしている会社、彼を取り巻くすべてが地獄だと言わんばかりに抜け殻のように生きている。
その抜け殻感が本当に、抜け殻なのが、いい。

そして、この作品の大イベントである娘の同級生に恋をするシーン。
気持ち悪い。ただただ。おじさん、気持ち悪いよ。にやけ顔も、恍惚とした表情も、それが中学生相手というのが増幅させているのだろうけど、「キモッ!」ってのを表現させたら右に出る者はいないね、ケヴィン・スペイシー!

でも気持ち悪いというか常軌を逸してるのはバーナムだけじゃなくて、妻も娘も、その同級生も、隣人も、何かが少しずつ歪んでいて、バーナムの恋をキッカケにその歪みがパワーアップして、雪崩のように連鎖して崩れていく感じ。
歪みはつまり人が抱える闇であり、その闇に真っ向から挑んだバーナムは、一見壊れたようにも見えるけれど、自分に正直に生きたとも言えるし、最後は「幸せ」を感じることが出来たという点では、ハッピーエンドなのかもしれない。(終わりはなかなかに衝撃的)

考察などを読むと「アメリカ社会の闇をコミカルに描いた」とある。
リストラ、セックスレス、不倫、同性愛、麻薬、銃、親子関係の崩壊、虐待…。確かにすべてが放り込まれている。日本だとまだ「麻薬」や「銃」は日常的ではないけれど、ほぼほぼ同じようなテーマは常にどこかで取り上げられているように思う。
『アメリカン・ビューティー』は1999年の作品だが、これらの闇は今も変わらず、私たちの地下(もしかしたらそば)に潜んでいて、いつでも表に出てこられるように準備をしているようにも思えた。

「アメリカン・ビューティー」はバラの名称らしいが、タイトルこそが、皮肉である。だけど、本当はビューティー(幸せ)はそこら中に溢れているのだ。それに気付かない人が多いだけで。

【次の作品】

未定。

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