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毛布#22 『ルポールのドラァグレースと、「化粧」のこと』

みなさんいかがお過ごしですか?
私は最近朝早くと夜遅く、外を歩くと感じる秋っぽさに、静かな高揚感を覚える日々です。まあ昼間はその秋っぽい情緒も焼き尽くされて全くなかったことにされますが……

最近個人的には重め厚めの毛布が続いていたので、今回はフワフワの毛布……私の日常を綴る日常毛布〜タオルケット〜編でお送りします。

最近ハマっているもの

Netflixで『ル・ポールのドラァグ・レース』を今更ながら観始めた。
次世代のアメリカのドラァグクイーン・スーパースターを決めるという、勝ち上がり方式のリアリティーショー。参加する基準は、「カリスマ、独自性、度胸、才能」を持っていることであり、2009年にスタートして現在はシーズン11まで放映されている人気番組だ。

大人気の番組ということは知っていて、いろんな人が話題にしていて気にはなっていたのだけれど、熾烈な競争、争いをするものだというイメージ、さらに言うとそれを消費する番組なのかというようなイメージがあってなんとなく手を出していなかった。

観てみると、熾烈な競争があり、争いがあり、消費どころか「食らえ」といわんばかりのドラァグクイーンのステージにひたすら魅了され一気に飲み込まれたようになって、気づけばシーズン6まで観てしまった。

ルポールはアメリカの伝説的なドラァグクイーン。みようと思ったきっかけは、VOGUEのインタビュー動画をたまたま観て、何か気になるものを感じたことだった。

私は昔から、気になった人のブログを一気見しにいく習性があるのだけど、そのノリでドラァグレースを一気見し始めた。何せ現在シーズン12まであるし、ルポール自身も今年で60歳。到底まだ何も追いきれていないのだけど、どうにも夢中になってしまっている。


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Kindleで買った原著の電子版

シーズン1がアメリカで放映されていたのは2009年。現在から見ると、時代の流れや、ジェンダーやセクシュアリティに関する社会の認識の変化、見ていて感じる「ポリコレ」の感覚の変化を番組のなかで感じたりはするものの、ルポールは一貫として揺るがない存在感を持っているように思えた。

ルポールが口を開いたり、笑ったりするだけで、不思議と場のテンション(緊張)が和らいだり、空気が中和されるような気がした。ファニーなのだけどどこかに静けさがあって、いつも完全に素の姿であるような、でも全て演じているような、謎めいていて、つい追ってしまうような姿。この人が話すのをもっと観たい……と、わかりやすく夢中になってしまってどんどん回が進む。

妹に、ル・ポールのドラァグレース見てる?と聞いたら、テーマ曲を歌って返してくれた。さすがだ。

「ルー様にハマっているのだけど……」と打ち明けたところ、どうやら妹は先駆者だったらしく、「とにかく早くシーズン6を見て」と言われ、やっとたどり着いたシーズン6。
メイクアップと衣装、課題とランウェイウォークで「エレガンザ(無理に訳すと優雅さ)・エクストラバガンザ(無理に訳すと派手・絢爛さ)」を惜しみなく表現するクイーンたち。

まだシーズン6の途中なのだけど、いくつかの回を見終わった後に気づいた。
クイーンの姿を見ていると、何か自分の中でふるふると震えているものがあった。そして思った。

「こんなことをしている場合じゃない」

そう。こんなことをしている場合じゃない……と、ふるえるものがあったのだ。

この「こんなこと」とはもちろん、そのNetflixを閉じろということではない。(いや、多分閉じた方がいいのだろうけど……)

手業を凝らして準備をし、装い、パーンと圧倒的な存在感で力強くステージに立つドラァグクイーンの姿を見ていると、まるで戦化粧をしているようで、「かっこいいなあ」と思ってしまったのだ。

いてもたってもいられず、いいからまずはつけまつ毛だ……と、買いに行くことにした。(つけまつ毛をつけたのは成人式の着付けついでにつけられて、それが最後の記憶だった)

ちょうど松戸に用事があったので、化粧品売り場に向かう。

意気揚々とつけまつ毛コーナーにたどり着くと、何か想像していたのと売り場の雰囲気が違う。

よく見ると、そこで売られていたのはどれも、
「目立たない・ナチュラルで自然なつけまつ毛」だった。

そういうことじゃないんだよ!!と思わず内心叫んでしまった。

目立ちに来ているのに、目立たないつけまつ毛とは何事か。
松戸で一番でかいつけまつげはどこで買えますか?という感じだった。

私が欲しいのはこれじゃない……と結局買わずに、アイライナーと、マスクの下でも絶対落ちなくて驚くと話題のマットリップを買った。

「化粧」というもの

私はもともとたいして化粧をする方ではない。
顔がはっきりしていて私の技術では化粧をしてもそんなに変わらないので、チャッチャッチャ、とケチャみたいなリズムで化粧を終える。
引き算の美学を好む気質・思想もあるし、単に面倒くさいということもある。最近ではマスクをあまり汚すのもなという気持ちから、チークや口紅もしなくなった。それでも、ふと街中や鏡で我が身を見た時に、顔色のない我が顔を見るのは寂しいので、せいぜいティントをつけるくらいだった。

メイクをするのは嫌じゃない。単純に、メイクをしている顔の方が好きだからだ。

だけど、メイクをするのに、複雑な思いをもつ人も多いんじゃないかと思う。

なんのために毎日化粧をするのだろう? なんでしなければいけないのだろう? 誰のために? なんのために?

嫌な人は本当に嫌だろう。メイクは時として、とんでもなくしんどいものになりうる。

私だって、「男受けの良いナチュラルメイク」とか、はたまた「メイクは社会人のマナー」とか、「浮かないメイクを」とか、「婚活用のメイク」とか言われると、水を奪われたペンギンのように、一気にしなしなに萎れてしまう。

クイーンたちのような、華々しい戦化粧としてのメイクもあるけれど、反対に「私には戦意はありません」ということを示すための、本来の力を封印する呪法のようなメイクもあると思う。

また、そもそもメイクという行為自体に苦手意識があり、どこか排除されたような気持ちの人もいるんじゃないかと思う。

……などなど、メイクに関しては長くなりそうなので、また今度毛布で書ければなと思う。(そして言うまでもなく、するのもしないのも全部本人の自由だ)

今回、シーズン6の途中にいる私としては、もっと自分の顔で遊んでみたくなった。メイクに限らず、装いも。歩き方も。

「戦化粧」だといっても、それは誰と闘うものですらない。自分自身をより鼓舞するためのものだなと思う。

家に帰って、早速アイライナーを引いて、オレンジのマットリップを塗った。残念ながらつけまつ毛はまた今度だけれど、鏡の中の私は、大層にんまりしていた。


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