ゲスト寄稿:ガメ・オベールさん『私小説1:モニさんとの出会い』

暫くすると、慣れて、返って生活の楽しさのうちに数えられるようになったが、モニさんとぼくの結婚の当初は、生活は、かなりヘンテコリンなもので、なにしろふたりとも、なんだか言葉にすると下品だが、オカネモチの家に生まれて、徹底的に甘やかされて、チョコが欲しいといえば、一個か二個欲しかっただけなのに、ひと箱でひと財産吹っ飛んでしまうような、ボンドストリートからトラッフルチョコがアソーテッドで届けられて、言えなかったが、ほんとうはBounty Barが欲しかっただけの、「小さいわし」は半ベソな気持ちになりながら、窓際で、chocolatierが腕に縒りをかけてつくった小さなテーブルほどもあるような、でっかいトラッフルの箱を呆然として見つめていると、仲良しの、いつも家の制服の若い女の人達が、寄ると触ると噂をしてはキャッキャッと騒いでいた、ステレオタイプというかベタというか、やたらとハンサムなイタリア人の庭師のPaoloが、寄ってきて、
「ガメ、これが欲しいんだろう?」と述べて、差し出してくれた、なんだか汗のにおいがするBounty Barを、ふたりで食べる。
日本はダグラス・マッカーサーの占領軍がおこなった数々の「民主化」の施策のうちでも、最も効果的で、ダムバスターの617飛行隊が使った爆弾Upkeepなみの効果をもたらした「農地解放」で、完全に、徹底的に、根底から階級社会が破壊されてしまったので、感覚として判りにくいとおもうが、上流階級というのは金銭の面でも「限度がない」人が揃っていて、身近な他家について述べれば、ふたり姉妹で、長女は大学生だが黒のベントレーのコンティネンタルで通学するという、とんでもない生活で、ひとをひととも思わないどころか、この人を女神のように崇めている気の毒なボーイフレンドを顎で使役していて、ふたりだけでデートするときには、首輪にリーシュを付けて散歩させているという専らの噂だった。

それでは成金ではないか、上流階級って、もっと上品なんじゃないの?ときみはおもうだろうが、ははは、甘い、ダイアナ妃の生家のように傾いていればまた話は別だが、そうでなければ上流階級の家など成金よりもひどい成金で、ナリナリキンキンなので、オカネを使うという概念の底が抜けている。
それにですね。
モニさんとぼくに共通していたのは、「なにもしない」が、もっとひどくて、サンドイッチひとつ作るのも、家の人につくってもらうので、なにしろ、自分のことが、金輪際、まったく、どうしようもなく、なんなんだと指弾されるくらい、何も出来ない。
笑うために家の人に箸を転がしてもらうような生活なので、「ひととして、どうなの?」という人間に出来上がりかけていた。
かーちゃんが、初めはニュージーランドでわしと妹を夏に過ごさせて、次には、やや自覚が出てきた「わしって、ひととして、ダメなんちゃうかしら?」と考え出したわしを隙さえあれば海外、といってもそのころは大陸欧州とアメリカ東海岸だが、にひとりで送り出しはじめたのは、要するに、自分の身の回りの世話は自分で出来るようにする、他人の世話にならずに起きてから寝るまでを過ごせるようにする、という親心だったでしょう。
わしは、大西洋を越えて、ニューヨークに足繁く渡航するようになって、パーティパーティパーティ!な週末を過ごすようになる一方で、マンハッタンというのは面白い町で、たくさんコミュニティがあって、例えばマスメディアで頻く伝えられるものならば、アンディ・ウォーホルの「アート」コミュニティがある。
その他にも、ニューヨークにいて短編映画をつくっている東欧人のコミュニティや、英語で投稿記事や本の出版をするアフリカ人たちのコミュニティのようなものから、伝統的な、歴史が長い、
クラブハウスを持っているようなコミュニティもあって、そのひとつがフランス人たちのコミュニティだが、パーティの部屋に踏み入ると、そこからはフランス語しか聞こえない、このコミュニティのパーティで、わしとモニさんの、バカップルは出来上がった。
誤解を避けるためにいうと、甘やかされたダメ人間の典型だったのは、わしのほうで、モニさんは語感も正しく「お姫様」で、志操も正しく意志も堅固で、そのころから、なんだか地上の人でないように、優しいうえに他人を疑うということを、まるで知らない人だった。
しかもしかも、日本の女のひとたちには、目を剥いて「ルッキズムではないか、許せない!」と、お叱りを受けてしまうが、絶世の美女どころか、立っている辺りが輝いていて、どうしてこれを書いている人の日本語はこうも、お下品なのか、まったく同じフレーズをもういちど繰り返すと、マジで立っている辺りが輝いていて、美しい女の人とみれば、甘言を弄して、ムフフしか考えなかったわしが、後ずさりして、やっぱり今日は家に帰ってデイビッドレターマンのショーを観ていたほうがいいな、と考えるほどでした。
踵を返そうとした瞬間に、わしの姿を目聡く見つけた当夜の女主人の、もともとはファッションモデルとしてニューヨークの社交界に君臨していたベルギー人のおばちゃんが、
「ガメ!ひさしぶりね。こちらのお嬢さんを紹介するわ、こっちにいらっしゃい」と呼び止めて面会したのが、モニさんとあった初めです。
「初め」と書いたが、実は、この美神が人間の姿で降臨したような美しい人には、サンフランシスコで会ったことがあって、そのとき、この人は、ちっこいどころではないチビで、鮮やかなオレンジ色のコートを着て、燃えるような緑色の眼で、表の通りを眺めて、この薄汚い世界を悲しんでいるように見えたのは、また、いつか書くことがありそうです。
あの美しい小さな人と、いま(信じがたいことに)同じ家に住んでいて、気が向けば、どうしてモニが淹れるとこんなにおいしいのだろう、と訝るようなカフェオレを持って来てくれる、この世の人でないような美しい人が、同じ人だと判明するのは、まだずっと後のことでした。
輝くような金髪と、全体の抜けるように白いブロンドの印象から、わし浅薄を発揮して、ずっと北欧人の子供だと思い込んでいたので、ずっとずっと、あの神々しい印象の子供と、目の前で、微笑んでいる人が、同じ人だとは気が付かなかった。

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