事実が口にできないことの悲しさ

嘘も方便というけれど、自分が今感じてる本当の感覚を言える相手って、自分の汚さを受け入れて、自分の醜さを受け入れてくれる人たちで、ほんの数人だってことに気づいた。

そして、自分のかかえる寂しさって、自分の汚さがどこにも発信されないところ、実行できないところにある、ほとんどの人に言えないところにあるのではないかと思う。

確かにモラルは大事だけど、モラルが大事だといわなきゃいけない。そのポーズを求められる。モラルが大事だと考えるのは当たり前のことであるという顔をしなきゃいけない。

いや、だけど
確かに社会の維持のために必要なことだね

誰かがフィクションでしかできないことがあるって言ってた。事実でやればよくねって思ってたけど、人間の汚さの場合、社会構造の維持のための相互監視によって攻撃を食らう。作り話の中で出てくるのであれば、だれも餌食にはならないし、一方で人にとって汚さは付き合っていく感情だろうからそれを発散なのか自覚なのかわからないけど、私たちに見せてくれる小説やフィクションといった存在は必要なのだと思う。

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