儚さを感じた一日

3日ほど前に 突然今まで掛かってきた事もない人からの電話が来た。
父の妹さんの旦那さんである叔父からだった。
そして ほんの2年ほど前に、うちの母の法要で、神戸から京都にわざわざおいでくださった時の元気な叔父叔母ご夫婦のよく喋る元気な顔を思い浮かべながら 私が電話に出た。
電話の相手は そんな元気によく話されていた叔父からであったけど、その内容は そんなイメージを根底から覆されるものでした。
『もう9ヶ月くらい前から大腸ガン、肝臓ガンを患ってて、今は六甲山の中腹にある小さな病院の個室に入院しているんだけれど、嫁がずっと是非 私マリノちゃんに会いたいって言うてる。マリノちゃんと言うしっかりした娘が居るから、お母さんがお亡くなりになられた後もお兄さん(私の父)を支えてくれてるから、貴女のお家はちゃんとしてるのやで』という内容でした。
そんな良いイメージを持たれるほど、私は家ではグウタラしていしっかりなんかしてないのに。。とも思いましたが、叔母にとっては、母に先立たれてしまった後の私の父をも心配されての言葉だったのだとも思います。
居ても経っても居られず、電話があった後の数日後のつい先日 叔母に父も仕事で行けなかったのですが、せめて叔母の願いもあるし、もしもの事があって会えなくなると言う考えたらアカン最悪な事まで考えてしまって 私だけでも元気な顔を見せようと車を飛ばして面会に行ってきました。

病室の扉を開けると、あのまだほんの2年前に足元はあまり元気じゃなかったけど、お話の方は関西のおばさんらしく達者にジョークを言いつつ 大笑いしてたあの時の面影は全く無く、お顔や手は少し浮腫んでいたからか 逆にあの時より少しお若くなられたような印象でしたが、言葉の方はもう信じられないぐらい完全に言語障害に陥ってしまって、よくよく聞かないと理解出来ないほどでしたが、私との再会を心から喜んで下さり 私の手をギュッと握って話しかけてくださっているだけに 聞き返す事も失礼だと思い ウンウンと多少言葉が分からなくても頷いてあげてるだけでも満足しているのか 、ニコニコされてる姿がお元気な頃とオーバーラップされて ちょっと泣きそうになってしまったけど 必死に堪えました。

そしてうちの家の事 父 母の事  私がちっちゃかった頃 めっちゃ可愛かったって褒めてくださったり、叔母の2人の男のお子さんとケンカして泣かされた事、京都に久しぶりに神戸から帰った時に叔母が足を怪我してて車椅子を私が押して 私達家族と行った平安神宮から八坂さんまで歩いた時紅葉がめちゃくちゃ綺麗だった事など思い出話おいっぱいされたり、今は叔母の兄である私の父を一生懸命支えてくれてありがとうねとお礼まで言われた時は 私も色々その時の光景を思い出して 思わず顔を叔母と違う方向に向いた瞬間涙が出てしまいました。
まだお元気で話されるうちに何度も面会に行こうと思います。
私の方こそ 本当に色々気を使ってくださった叔母にありがとうの気持ちを込めて。。
けどけど、勝手に悲しみのヒロインになったらアカンよねぇー。
叔母はまだ元気だし、今度また外出来るようになったら 私が叔母の車椅子を引いて また京都を楽しもって約束もしたからね。


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