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「横浜山手秋ものがたり」最終章後編①

  

  1.手紙

 「手紙、一体どこにあるんだろう?まさかもう捨てられてしまったとか

・・・」

 高祖父に宛てて書かれたラチェット氏の手紙がどこを探しても見つから

ず、彩は悲観的な気持ちになりかけていた。そんな時、しばらく家を留守に

していた母親から連絡が入った。


 「もしもし、彩?おはよう」

「あれえお母さん?久しぶり。どうしたの?こんな朝早くに」

「それがね、こっちの方もようやく一段落したから、今夜にでもそっちに

戻ろうかと思って・・・」

「ホント?それじゃあ叔父さんの具合いはもういいの?」

「お陰様で経過は順調で、昨日からリハビリに入ったのよ。この調子なら

来週あたり退院出来そうだって」

「それは良かったー!これでお母さんもひと安心だね?」

 鎌倉で料理旅館を営んでいる叔父は、ケガをして入院していた。

そこは母の実家でもあり、嫁ぐ前まで仕事を手伝っていた彩の母親は、

急遽ピンチヒッターとして手伝いに行っていたのだった。


「ところでそっちはどう?何か変わった事はなかった?」

「うん、家のほうは特に何も。お父さんは相変わらずマイペースだし・・・

ただね?店のほうにはちょっと珍しい依頼が来て、今はもっぱら昔の資料

探しにてんてこ舞いしてるとこなんだ」

「あら、そう?それは確かに珍しい事だわね?昔の資料って一体いつ頃

の物を?」

 母親がその話に興味を示したため、彩はこれまでのいきさつをざっと

話して聞かせた。そして現在は、高祖父とも親しかった当時の顧客の

英国人の手紙を見つけ出す事に手こずっている最中なのだと伝えた。

 するとそこまで黙って話を聞いていた母親が、意外なことを言った。


「彩、ひょっとするとお母さん、その手紙見たことがあるかもしれない」

「えー!嘘でしょ?お母さん」

「やだ彩ったら、もちろん嘘じゃないわよ。ただし家に帰ってよく調べて

みない事には断言出来ないけれど・・・」

「そ・・そうなんだ?」

「ええ。でもね彩、悪いけど今その事について詳しく話をする時間はない

の。だから続きは今夜またにして。とにかく私が帰ること、お父さんには

ちゃんと伝えておいてね」

 母親からの電話は、そこで慌ただしく切れてしまった。


 彩は携帯を持ったまま、しばらく呆然としていた。

「・・まさかお母さんがあの手紙のことを知っているだなんて!」

 思いも寄らなかったその情報は、彩に希望をもたらした。

(これでようやく日記に書かれていた手紙の謎が解けるかもしれな

い・・・)

 高鳴る胸を押さえつつ、彩は直ちに父親のもとへと走った。


 その夜、一家は久しぶりに揃って夕食の席を囲んだ。

母親は鎌倉から活きの良い金目鯛を持ち帰り、父子が大好物の美味しい

煮付けを作ってくれた。父親は上機嫌でそれに合う上等の日本酒を開け、

久しぶりに賑やかな食卓となった。

 食後、後片付けを終えると彩は早速手紙の話を切り出した。


「ところでお母さん、今朝話した手紙の件だけど・・心当たりがあるって

言ってたのは本当なの?」

 彩は父親でさえ知らなかった高祖父の手紙の存在を、母親が知っている

事が信じられなくて、まずはそこから尋ねてみた。

 すると母親はキッチンの椅子に「ああ疲れたー」と言って腰掛けてから

肩を叩きながら答えた。

「そっか?彩はその手紙のことをどうして私が知っているのかが気になる

のね?・・・わかったわ。それじゃあまずはそこから説明してあげる。

実はね、その話には亡くなったあなたのひいお祖母さまが関係している

のよ」

「えーっそうなの?お母さん」

「そうよ。お祖母さまはね?あなたも知っている通り、この一ノ瀬家の

一人娘だったでしょ?」

「うん。それは知ってる。ひいお祖父ちゃんは婿養子で、この一ノ瀬家に

入ったんだよね?」

「そう。そんなわけで一人娘だったお祖母さまはね?ひいお祖父様から

沢山の物を受け継がれたの。その中でも特に大切にするようにと

言われていた物が、お客様から頂いた手紙だったのよ」

「へえー、そうなんだ?それでお母さんは今朝電話で、私が探している手紙

を見たことがあるかもしれないって答えたんだ?」

「その通りよ」

 母親の言葉に、彩は納得して頷きかけた。しかしすぐにその顔はあきらめ

の表情に変わった。

「だけどお母さん、ひいお祖母ちゃんはもう死んじゃってるんだよ?だから

その手紙を読む事はもう出来ないんじゃ・・・?」

 彩のその言葉に、母親は首を振って答えた。

「彩。あなたがそう考えるのは無理もないことかも・・・でも安心して。

手紙はまだ残ってるのよ。実はね、お祖母さまは亡くなる前に、その手紙を

私に託されていたの」

 

 母親の説明によると、曾祖母は晩年、身の回りの整理をするのを

手伝って欲しいと頼んだそうだ。そしてその作業の終わりに、

箱にしまわれていた高祖父の遺品を贈られたのだと打ち明けた。

「お祖母さまはね?その箱の中にはひいお祖父様が特に大切にされていた

お客様からの手紙が入っていると話されたの。それを読めば、写真館の初代

館長だったひいお祖父様が、お客様からどれほど信頼されていたかがわかる

と仰って・・・」

 彼が顧客から信用されて、いかに熱い信頼を得ていたかがそれらの手紙

を読むとよく伝わって来るため、義母はそうした形で次世代を継ぐ者達にも

その姿勢を見習って行って欲しかったのだろうと思うと、母親はしみじみと

語ったのだった。

 

 翌日、彩は遂にラチェット氏の手紙と対面することが出来た。

それは美しい彫刻が施された鎌倉彫の箱の中に納められていた。

「お客様からの手紙は絵はがきも含めて、ここに全て入っているわ。

中には外国から届いた郵便物もあったから、あなたが探しているその手紙も

きっとあるはずよ」

 母親はそう言うと箱の中を探り、下の方に納められていたエアメールの

束を取り出した。そして自分は英語が苦手だから、ここまではまだ読んだ

事がないのだと言って苦笑して見せた。

 そこで彩は渡された手紙を一通ずつ自分の目で慎重に調べ始めた。

すると中からこれだ!と思う一通のぶ厚い封書を選び出す事が出来た。

「お母さんこれを見て!ちょっと読みにくいけどこの宛名、一ノ瀬写真館

店主様って読めるでしょ?これ日記に書いてあった通りだよ。

 それにほら、送り主の名前もラチェットって・・ちゃんと読める!!」

 

 興奮して叫んだ彩は母親の承諾を得ると自室に戻り、辞書を片手に早速

夢中で手紙を訳し始めた。高祖父の日記から、その内容が普通でないことは

何となく予想してはいたものの、そこに記されていた内容は彩の予想を遙か

に越える、実に衝撃的なものだった。

「・・まさかこんな事が書かれていたなんて!?」

 およそ百年前にラチェット氏を襲った出来事。それはあまりに悲しく残酷

なもので、彩の胸は張り裂けそうになっていた。

「ハンナ・ラチェット・・・」その時彩の脳裏に浮かんだのは、幼い頃の

ハンナが曾祖母と仲良く手を繋ぎ、無邪気にほほ笑んでいるあどけない姿

であった・・・


 それから数日後、彩は父親と共にマリカ達一行を迎えるための最終準備

を行っていた。応接室のテーブルには写真や資料が所狭しと並べられて

いた。

「これで皆さんにお見せする物は全て揃ってるな?」

「うん。写真は撮影された順に並べてあるし、資料のほうもほら、コピー

して人数分用意してあるわ」

「よーし!それにしても彩、今回は本当によくやってくれたな?

お前の助けがなかったら、この短期間にとてもここまで調べる事は出来な

かったと思うよ」

「へへー、そうかな?」

「そうだとも!何せ一世紀近くも前のお客さんの調査だったんだぞ?

写真まではともかくとして、まさか本人が書いた手紙まで見つけ出すとは

な!全くお前の情熱には感心させられたよ」

 感心し過ぎる父親に、彩はちょっと首をすくめて言った。

「お父さん、褒めてくれるのは嬉しいけど、手紙に関してはちょっと違う

と思うな。そっちのほうのお手柄は、私じゃなくてお母さんのほうじゃ

ない?」

「ん?そうか?・・まあ確かによく考えてみると、お前の言う通りかもしれ

ないな。お母さんがお祖母ちゃんの言いつけを守って、あの手紙を大切に

保管してくれていたお陰だから・・・」

「そうだよ、お父さん、だからその事はちゃんとお母さんにお礼を言っとい

た方がいいと思うよ」

 彩にやんわりとたしなめられて、父親は、頭を掻いた。


「ところでお父さん、私ひとつ聞いておきたい事があるんだけど・・・

そのラチェット氏が書いた手紙、今日来るお客さん達にも話してしまう

つもりでいるの?」

 彼の手紙を読んだばかりの彩は、その内容が高祖父に宛てて書かれた

私的なものであることを知り、その内容を他人に公表してしまう事には

抵抗があるのだった。すると父親は彩の気持ちを察したかのように

答えた。


「ああ、彩。その事だったら夕べ、お母さんとも話し合った」

「本当?それじゃやっぱりお母さんも反対したのね?」

 ところが彼は、彩の予想に反して首を横に振った。

「いいや、それは違うよ。お父さん達はね、手紙のことは結局話しても

良いと結論付けたんだ」

「えっなんで?どうして?」

「まあまあ彩、いいから落ち着いて聞きなさい」

 彼は反発して来た彩を一度制した後、その理由を述べた。


「それにはな、ちゃんと理由があるんだ。まず今回調査を依頼してきた

お客さん達が信頼に値する人達だと思ったからだ。皆若いがとても真面目で

ね?特に中の一人の青年が横浜の歴史同好会に所属しているという点に好感

が持てた。それともう一つの理由。それは今現在その館に住んでいる人が、

お客さんの中の一人の伯母さんだという点だよ。これにはお母さんも驚いて

いてね?そういうことならその人に、ラチェット氏のことをぜひとも伝える

べきだと言ったんだよ。何と言っても彼は、その館の最初の主人だった人

だからね?」

「なるほどー。それなら私にもわかる。もし私が今そこの住人だとしたら、

それは絶対知りたい情報だもの・・・」

「だろう?だからお前も読んで知った通り、彼の人となりがとてもよく伝わ

って来るあの手紙のことを伝えても良いのではないかな?少なくとも娘に

対する深い愛情が表現されている部分は・・・」

 彩はその説明にようやく納得したようであった。

「わかった。そういうことなら私もお父さん達の意見に賛成するわ」

「そうか?良かった。それじゃ手紙に関してはそういう事でいいな?

まあとにかく今日我々がすべきことは、お客さん達に昔の写真を見せる事、

そして初代の記録から知り得たことを説明して行けばいいんだ。そうそう、

場合によってはお前も説明を加えていいからな?」

「はい、了解です!」

 そうして二人は準備を終えて、昼食を取るため急いで部屋を出て行った

のだった。


  2.マリカの告白

 その頃、マリカは写真館の近くにある一軒の喫茶店へと向かっていた。

そこは昭和の香りが漂う昔ながらの喫茶店で、マリカはそこで薫と待ち合わ

せしていたのだった。薄暗い店内に入ると、奥のほうの窓際の席で薫が手を

振っていた。

「あ、おばちゃん、お待たせー」

「ううん、大丈夫。それよりほら見て。わたし一足先にこれを注文しちゃっ

た。ここのアイスロイヤルミルクティーは絶品なのよ!」

 見ると薫の目の前には、ホイップクリームがたっぷり載ったアイスミルク

ティーが載っていた。

「うわー、美味しそう!それじゃ私も同じのにしちゃおうかな?」

「マリカちゃん、ぜひそうして」


 やがて運ばれてきたアイスロイヤルミルクティーはこの店の看板メニュー

であり、周りを見るとほとんどの客のテーブルの上には同じ物が載って

いることにマリカは気付いた。

「ホントだこれ、おいしー!寒い季節にアイスティーもなかなかいい

もんだね?」

「そうなの。ここのはアイスでも茶葉の香りがしっかり感じられるし、

あらかじめ入っているシロップの甘さもちょうどいいでしょう?」

「うん。確かにこの甘さ、しつこくなくってちょうどいい」

 喉が渇いていたマリカはそう言うなり、ストローでそのまま半量近くを

一気に飲んでしまった。


「フーッ!ところでおばちゃん、写真館はこの近くなんだよね?」

「ええそうよ。ここから歩いても五分とかからないわ。だからまだ時間は

充分あるから安心して」

「よかった!それより今日は楽しみだね?わたし夕べからずっとドキドキ

しっぱなしだったんだ。写真館の人は、今度は一体どんな写真を見せてくれ

るんだろうって」

「ホントよねえ。実は私もあれから何となく気分が落ち着かなくって。

そのせいか居間のあの少女の絵の前に立つと、あの子が何か話しかけてくる

んじゃないかって錯覚を覚える程なのよ。全く・・・笑えるでしょ?」

 薫は冗談めかしてそんな事を打ち明けたのだが、マリカはその話を笑って

返す事は出来なかった。何故ならその時、あの絵を初めて見た日に自分が

体験した恐怖が蘇って来たからであった。

(・・あの時確かに、絵の中の女の子の目は動いていたわ。まるで私のこと

を観察してるみたいに・・・)

 その瞬間、マリカの背に再び冷たいものが下りてきた。


「ちょっとちょっと、どうしちゃったの?マリカちゃん、顔が真っ青よ」

 突然顔色を変えたマリカのただならぬ様子に、薫は驚いて尋ねた。

そこでマリカはハッとして慌てて言った。

「あ、えーっとね?今の話を聞いてたら、私ちょっと変なことを思い出しち

ゃったの。でも多分それは、私の思い過ごしだと思う・・・」

 マリカがしどろもどろに答える様子を見て、勘のいい薫はすぐに、これは

おかしいと気付いた。そこでマリカの目を真っ直ぐに見つめて、あらためて

聞いた。

「ねえマリカちゃん、私に隠し事はなしよ。だからお願い。今言った事を

もう一度、きちんと説明してくれる?」

 

 他でもない大好きな伯母にそう真剣に頼まれては、さすがのマリカも

抗うことは出来なかった。そこで今度は黙って首を縦に振った。

「良かった。マリカちゃん。だったらその話、ぜひ聞かせてちょうだい。

あなたをそんなに動揺させてしまう程の事を・・・」

 そしてマリカは正直に打ち明けた。初めてあの絵と対面した日に、自分を

見つめる少女の瞳が確かに動いていたのだと・・・


「まさか!?それ本当?マリカちゃん」

「うん、残念だけど本当なの。あれはほんの一瞬だったんだけど、

私確かにあの少女の青い瞳が動くのを見たの。まるで生きているみたい

に・・・」

 今度は薫のほうが青冷める番だった。

しかし薫は「それは目の錯覚でしょ?」とか「そんなのあり得ない話だわ」

等と言って否定する事は決してなかった。

 そこでマリカは恐る恐る尋ねてみた。

「おばちゃん、ひょっとして今の私の話、信じてくれる・・の?」

 

 すると薫は意外にもあっさりと肯定した。

「マリカちゃん、もちろん私はその話を信じるわ。だってあなたが冗談で

そんなことを言うはずはないもの。それに私も以前からなんとなく、あの絵

にはどこか謎めいた雰囲気があると感じていたから・・・」

 薫はそう答えると、マリカに向かってほほ笑んで見せた。

それからしばらく何か考えていた後、こんなことを言った。


「ねえマリカちゃん、今の話を聞いてみて私思ったんだけど・・・

あの絵の中の少女は、貴女に何かを訴えようとしていたのかもしれない

わね?」

 マリカはその言葉に驚いて顔を上げた。

「おばちゃん、そう、そうなの!実は私もそんなふうに考えていたの。

あの女の子はもしかしたら、何かを伝えたがっているのかもしれない

って・・・」

「まあマリカちゃんあなたも?だとしたら、それはただの思い込みでは

ないかもしれないわよ。だってあの子は事実、本当に実在していたわけ

だから・・」

 その言葉にマリカは勇気づけられたようだった。

「そうだよね?おばちゃん!だったら私、今あの子が私達に一体何を

伝えたいのか、それを突き止めてあげたい」

「マリカちゃん、私もそう思うわ」」

 二人が頷き合ったちょうどその時のことだった。マリカの手元にある携帯

が突然鳴り響いた。


「・・もしもし?あ、咲ちゃん?わたし今、薫おばちゃんと一緒に

近くの喫茶店にいるところ。うん、うんわかった。それじゃ私達もすぐに

そっちに向かうね?」

 素早く電話を切ったマリカは、間もなく咲と広介が写真館に到着する所

だと言った。そこで二人は直ちに席を立って会計を済ませると外に出た。

少女の更なる情報を求めて・・・


                          続く


  
















 










 

 


 











 

 





 









 








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