色即是空は四字熟語じゃない!(改訂版)
「般若心経」には、『無』が多いですよね。それで、何を否定しているのかというと・・・全ての『現象』です❗️
仏教は、世界を認識する心のさまを多角的に3つの視点から解釈しています。
五蘊と十二処、合わせて十八界、まとめて三科と呼びます。
そして、「般若心経」には『色』が2ヶ所出てきますが、前半は五蘊、後半は十二処を指していると考えられます。
五蘊と十二処は、いわば1つの物を縦から見るか横から見るかの違いではないかと、私は思っています。
まずは五蘊。
色・・・物質的に『形あるようにみえる』もの。
受・・・それらを受け取り込む器官。目や耳、鼻?
想・・・それらを何であるか見極める働き。判断力?
行・・・心がある方向に働く働き。喜び、悲しみ、怒り?
識・・・自らの状態を知る働き。認識力?
十八界は・・・。
図解化すると、こうなります。
「色即是空」は、般若心経の中でも最も有名な言葉ですが、それだけでは本当の意味は成立しません。前半の『空』は、こう続きます。
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
「色」は「空」であり、「空」は「色」であり、受想行識もまたそうなのである・・・。
ここまでが一纏まりなのです!
「色受想行識」と続く、この部分は五蘊そのものですね。
つまり「色即是空」の文言は、世に存在するものは、それを感じ取る器である心を含めて『空』だ❗️と言っているのです。
また同時に、その『空』なくして全ては存在しない❗️
たとえば「空気」は、昔は存在することさえ知られていませんでした。でも、それなくしては地球上の生き物は生きられません。文字通り『空気』なわけです。
また、もしあなたが目隠しされ、耳も塞がれ、手足も縛られて暗い小部屋に押し込まれていたら、『他の存在』はとても考えられないはずです。『存在していない』のと同じなのです。
そして、後半では、改めて十八界での『空』が語られています。
是故空中無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法
対になってることは一目瞭然ですね。
それでは「空」とは何か?
『時が経てば、絶えず移り変わっていて、永遠不変ではないこと』、また同時に『目には見えないけれども、それなくしては全ては成り立たないこと』です。
水も沸騰すれば蒸気になって目に見えなくなり、凍れば固くなります。
人も、ある場所に集まっても、やがて散り、もしまた集まる機会があったとしても、厳密には全く同じであることはない。少なくとも日時は変わっているでしょう。周りの景色も変わっている。.人もその分歳を取っているのです。
だから、その時その時を大切に思い、あらゆるものとの出会いを大切にしましょう・・・。
仏教は、そう教えます。そう、「一期一会」ですね。
さて、本題に戻ります。
繰り返しになりますが、「色即是空」を含む1節は、『全てのものは、移り変わり永遠不変ではない。いつかはなくなるものでしかない』という意味になります。
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” 全てが一時的にしか存在しないのだから、どのような苦しみも悲しみも、いつかは消える。だから過度に悩み苦しむ必要はないのだ。
それに拘るな。振り回されるな・・・。
そもそも、それらは自分だの他者だのと区別することから生じる。しかしそれは『真理』からすれば、全く無意味なことなのである。
全ては『意識していなくても存在して、欠くことが出来ないもの』によって成り立っていることを知り、それらにも常に心を留めて感謝しよう。
何ものも単体では存在していけない。必ず他の多くの何ものかに支えられてそこに存在しているのだから・・・。”
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それが「色即是空 空即是色」の意味なのです。
ここまで全てが解釈されて初めて「色即是空」という言葉を使うことができるのです❗️
そして、この「空」の思想こそが「般若心経」を解く鍵となります❗️
それ故に、「色即是空」は、「般若心経」で最も有名な言葉となったのでしょう。
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