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お経はどうして分かりにくい?

私が調べた限りにおいて、のお話ですが。

世界三大宗教の中で、最も多くの言語に翻訳されているのは、キリスト教の旧約・新約聖書です。自国語で教典を読めれば解釈の相違も少なくなるのですが・・・。

イスラム教は、神の言葉を歪めるとして「クルアーン(コーラン)」を翻訳することを禁じてしまいました。
それ故に、各地方で解釈が大きく異なり、女性は髪を見せてはいけない・全身を覆わなければならない・職業に就いてはいけない・神の名の下には戦争も辞さない・・・といった宗派も出来てしまったのです。

それでは、日本における仏教聖典である「お経」はどうか。

もともと日本のお経は、唐の時代にインドに渡った玄奘三蔵が中国語に訳した仏典が、そのまま日本に伝わった物がほとんどです。

当時は、僧侶は相当な『知識人』です。中国語をそのまま読めたのですね。だから訳す必要がなかった。
また、特権階級という存在は、とかく権威を維持したがるものです。言い方は悪いですが、当時の僧侶は特権を維持するために意図的に訳さなかったのかもしれません。
文字、特に漢文を読むことが出来たのは、その僧侶たちと貴族階級の男性たちだけでした。貴族階級の女性のほうは、平仮名を主に使っていました。漢文を書く女性は少数派。清少納言や紫式部は、家族が学者系だったから読めたらしいですね。
一般的な庶民はほとんど文字が読めない。江戸時代に寺子屋が普及するまで、その状態は長く続きました。

一般庶民も救おうとして生まれたのが「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われると説く鎌倉仏教ですが、かなり長い期間にわたって文字を読めない人々が仏典から置き去りにされていたことは否めません。
そういう訳で、お経は日本においては漢文のまま定着してしまいました。

もちろん漢文ならではの良い所もあるんですが。
何より漢字文化圏の私たちは、漢字を見れば意味を推測することが出来ます。字数も短くて済むし、細かい言い回しの違いも起こりません。

ただ、お経に関しては『サンスクリット語の音を漢字に当てた文字列』も含まれているため、そのままとはいきません。
「摩訶不思議」の摩訶は、「マハー(大きな)」ですし、「般若」は「智恵」だそうです。

実は「般若心経」の最後の部分も、やはりサンスクリット語の音だけを漢字に当てはめた『呪文』です。

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

意味は・・・
「行く者よ 行く者よ 悟りの世界に行く者よ 悟りの世界に全く行く者よ 悟りよ 幸あれ」
なのだそうです。

つまり「般若心経」は、『』の思想を説いて、その上で『その悟りの世界へ、みんなで一緒に行こう!』と言ってくれているのです。

小乗仏教と大乗仏教という区別があるのは、ご存知でしょう?
人がそれぞれに自力で悟りを開くことを目指すのが小乗仏教です。
それに対して、仏の悟りによって衆生をお救いいただこうというのが、大乗仏教。

実は「般若心経」は、その2つのいいとこ取りなんです!

なんたって、大乗仏教の代表の観音さまが、お釈迦様のお弟子のシャーリープトラさんに、『空の思想』を説いている場面を想定していて、そして最後には最上級の呪文を教えているのですからね。

空の思想』に『最上級の呪文』を加えれば、そりゃ最高になりますって!
「般若心経」が、宗派問わず支持されている理由は、まさにこの点にあるのです!!


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