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4. 人生はじめての手術。

さて。
幼少期、股関節脱臼完治をみごとクリアしたはずの私。
でもやっぱり元々骨や関節が弱い子?として生まれたので
この後もいろいろな試練が待ち受けていたのでした。

変形性股関節症

私の2度目の診断名。
どちらかというと女性に多い病気。
股関節のクッションとなる軟骨がすり減ったり、
骨自体が変形することもある。
私のように10代で悪化することは少ないみたいだけど。

そもそもは、この病気が原因だったのだね。

歩くたびに股関節の骨と大腿骨の骨頭がぶつかるのでイタイ

歩くたびにとゴリゴリいうし、痛くて痛くて小学校の徒歩30分の道のりが
果てしなくつらかったのを覚えてる。
でも、友達に悟られたくなくて、道端の花を見ているふりして、
しゃがんで休んでたイタイケな少女だった 🌷

そして小学校高学年になったころ、
ついに痛みに耐えきれなくなった私は手術を決断
小5で左関節。小6で右関節。2回に分けて行うことになった。
Wダブルの痛みに耐えてたんだよね、、エライね、私。

両股関節 骨切り術

私が受けた手術は「大腿骨骨切り術」というもの。
とてつもなくコワイ名前だけど(笑) 
大腿骨(太ももの骨)を一旦切断し、角度を変えて固定することで、
体重を受ける面を調節する手術。
つまりは一度骨折状態になるので、骨がくっつくまで安静にしてないといけないため回復には時間がかかります。

人工関節という選択肢もありますが、人工関節にするには若すぎる (人工関節には寿命があるので若い時にすると再手術が必要になる) というのと、骨の角度を変えることで軟骨の残っている部位でしっかりと体重を受けられるようにして関節の機能を回復させるという狙いもあるようです。


人生はじめての手術。わずか10歳。

その時、なぜだか全身麻酔じゃなく下半身麻酔での手術だった。
脊椎にググっと注射するやつ。
背中に冷たーい液が入ってくるのがなんともイヤな感じ。

下半身麻酔だから当然、意識もあり
ドクターの声や器具のカチャカチャする音も聞こえてくる。

「今、なにしてるところ?」

「次はなにをするつもり?」


音がするたびビクビクな私。
歯医者だってコワイのに!!

そのうち骨を削る音がキュイーンキュイーンしたかと思えば、
トンカチでゴンゴン叩く音はするし、
ガリガリゴリゴリ、手術というよりまるで工事現場かジェイソンか!! (古っ)て感じ。

その振動も上半身に伝わってくるので、生きた心地がしなかった。

麻酔が効いてるから痛くないはずなんだけど、
10歳の私には酷で、ワンワン泣き叫んでたのを覚えてる。

これに懲りた私は、その後の手術では必ず
「全身麻酔で!」
ってオーダーすることに決めた。
オーダー制なのかどうかは知らないけどw

術後

切断した骨がくっつくまでに数か月はベッドの上で過ごして、
その後、ベッド上での筋力回復のリハビリや松葉杖を使って歩く練習。

それにしても。
数か月寝ているだけでこんなにも筋力って落ちるものなのか
と初めて知った。
思えばこのときから筋力の低下が始まっていたのかも。

たしか小児病棟ではなくて大人の病棟だったので、
いったいどうやって過ごしていたのか。すでに記憶のかなた。
術後の数日間だけは母がつきそってくれていたけど、
基本付き添いはナシだった。

松葉づえなしで歩ければ、めでたく退院!
と聞いていたのでものすごくガンバッた。
やっぱり早く退院して学校に戻りたかったんだと思う。


もう片方の手術は、左足の筋力が少し回復してから行った。
今度はオーダーどおり全身麻酔で、眠ってる間に終わったのでよかった。

術後は痛みはなくなったけど、
そこからは松葉づえでの生活が始まったのでした。

やっぱり筋力が落ちたのであんまり足が上がらなくなってしまって、
杖がないと歩くのが不安。
でも、歩いても痛くない。
ゴリゴリいわない。
それだけでうれしかったのを覚えてる。



           本日のおいしいもの

本日届いたしあわせの八角形たち
八天堂のくりーむパン