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【探すから見つからない私なのかもしれない】

【探すから見つからない私なのかもしれない】

私は
私って
私の
私が
とかって思っている時は、
私は表れていないのかもしれません。


スタバで食べずらいサンドを食べながら、


食べずらいものを頼んでしまった後悔と
うまく食べられない羞恥心を感じていたところ、


一口目が美味しくてどうでも良くなってしまった。

食べずらいながらもぐもぐ食べる。
来ている人たちもひっそりとジロジロ見つめる。


店員の女性に手を振るおじさんに、うわぁ……と思ったり、


パソコンにイヤホンで話す席の女性に、カフェでzoom的なのってアリなのかって
びっくりしたり


1人で来て飲みながら電話で話す女性にもそれもアリなのかとびっくりして、


まぁ皆人と来てお話ししながら飲食しているしなぁアリかぁほーん


とか思ったりしながら


もぐもぐジロジロもぐもぐジロジロごっくん
お腹に広がる温もりと美味しさ…


ふと口に運んだチャイティーラテのシナモンにびっくり
そうかそうだよなチャイにはシナモン入っているよなぁズーン(苦手)


ここに来てハッと私が私を認識する。
私ってば夢中になっていた。
この空間と人と食べ物に没入していた。


そして没入するとき
私は「私」から逃れることができる。


私私私は私は私は……が消えている。
それでいいのかもしれない


そしてきっとそんな時私は外側には表れているのだろう。


結局自分で掴み感じることは難しいわけだけど


これって哲学かなあ
めんどくさいなぁ自分。


哲学のやさしい本探してみようかな


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