見出し画像

忘れていた

 個人的な話ですが、麻生政権の時から10年ほど自民党のために(勝手に)動いてきた。特に選挙のボランティア働きがメインで、ここでは詳細に書かないけれども、選挙はとにかく大変なものだ。我ながら、議員でもないのによくそんなことまでやったなと思う活動までした。

 それに引きかえ、ネットで好き勝手に政治に文句を言っている人たちの98パーセントの人は何もしない。個人的な経験上の不満もあるけれど、ネットに大量に存在する「言うだけ」の人に対しては「自分は何もやらないくせにお前ら何を言っているんだ」という気持ちが常にある。

 それが今日はTwitterでちょっとしたきっかけがあり、大事なことを思い出した。

 皆、それぞれに毎日を頑張って働いて精一杯生きているのに、努力が反映されなかったり政治家がちぐはぐな事をしたり馬鹿な事をしたりで、政治や制度に対する不満はあるだろうという当たり前のことを久しぶりに思い出した。

 3年前の2017年。都議会議員選挙で都民ファーストの会が躍進し、国政へ進出した。小池百合子都知事による「希望の党」というネーミングが発表された時には、政治家も有識者も含めて多くの人が「一過性」のような名前であると捉えて誰もがその党名に否定的だった。

 私は「凄い」と思っていた。

 「それぞれが毎日を頑張って働いて精一杯生きているのに、努力が反映されなかったり政治家がちぐはぐな事をしたり馬鹿な事をしたりで、政治や制度に対する不満がある」ことを「実感」として「知っている」からこその、「希望の党」だ。そのことに心底驚いていた。

 実は、都議会議員選挙にはお世話になった恩人が都民ファーストから出馬していたので選挙を手伝ったという経緯がある。そこで見たのは、政治への「希望」を小池知事から見いだして反応してくる「毎日を頑張って働いて精一杯生きている」人々だった。2日間一緒に行動した有名企業の男性は初めて選挙運動を経験したそうだが、ある団地でのポスティングを終えて私に言った言葉が忘れられない。彼は「彼らの生活感に切なくなって泣きそうになった」と言った。

 私は、「政治を分かっていない、何も知らない一般人たちが、ポピュリズムに流れて小池知事や橋下元知事を支持する」といった言説が嫌いだ。分かっていないのは本当に彼らなのだろうか。希望の党が自民党を震撼させたのは、本当に雰囲気なのだろうか。

 すっかり忘れていた。選挙の大変さをはじめ、議員の様々な苦労はよく知っている。何もしない人たちから罵声を浴びる理不尽さもよく知っている。それでも自民党の議員は、批判はどんなものでもすべて謙虚に真摯に聞くべきだ。多分、自民党の重鎮の皆さんはそれをよく知っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?