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日記 20240604-20240607



20240604 tue

9時に起きて始業前に皮膚科に行った。えらすぎる。手荒れがひさしぶりにまあまあひどい状態になっていて、もう薬で治す以外になさそうだったので行けてよかった。市販の軟膏も効くけど、病院で処方してもらったほうがはるかに安く済む。よく晴れて気持ちのいい朝だった。音声放送を聴きながら歩いた。
家を出る前に洗濯機を回しておいて、帰ってから干した。晴れた日に洗濯ができると、部屋のなかがすっきりする以上に、世界に適切に位置づいている感じがして落ち着く。

お昼休みに『ストーナー』を読み、次いで『キッチン』の「満月」を読んでいたら無性に胸に響いてぽろぽろ泣いてしまった。

 私はヤケドも切り傷も少しも恐くなかったし、徹夜もつらくなかった。毎日、明日が来てまたチャレンジできるのが楽しみでぞくぞくした。手順を暗記するほど作ったキャロットケーキには私の魂のかけらが入ってしまったし、スーパーで見つけたまっ赤なトマトを私は命がけで好きだった。

吉本ばなな『キッチン』「満月」(福武文庫 p.91)

傷を抱えたまま、ご飯をつくって食べて生きる姿が吉本ばななの作品には繰り返し描かれていて、そのまなざし、命のきらめきに何度でも心打たれる。わたしはどうにも食事がへたなので、果てしない憧れの思いもある。同じようなテーマで書かれた小説やエッセイを読んだこともあるけど、吉本ばななは(言うまでもないことだが)頭ひとつ抜けているとあらためて気づき、二十代のうちに出会えてよかったと思うし、これからもずっと手元に置いておきたいと思う。

↑ここまでお昼休みに書いた

いまいち仕事が捗らず、20時半に終業。背中全体に不快感がある。ストレッチを増やしたほうがいいのかも。ぼんやりと頭痛がして、晴れた日くらいは調子よく過ごさせてくれ〜と思う。短めの床に溶けタイム(なにもできない時間のキャッチーな表現)を経てから筋トレと買いものをして、急に思い立ってすこし本の整理をした。もはや続きを追えていない漫画を手放すことにして本棚を一段空け、行き場がなく平積みし続けていた本や同人誌を収めた。今日は深追いしなかったけど本もすこし減らさないといけないなあ。5年以上は積んでいる本が何冊もあるが、時機を逸した感のあるものはいったん諦めてもいいかもしれない。部屋に未読の本が多すぎるし、なにもせずとも読むべき本は日々増えていく。

外を走った。10kmを1時間切るペースで走るのがいまのところちょうどいい。すこし息が上がる。最近は走りながら作業用かまみくを聴き直していて、当時を懐かしく思ったり今との違いに驚いたりもしつつ、ただただ楽しくて、生活のなかにかまみくがあってよかったと思う。

先週くらいからマンションの上の階でリフォーム工事が始まっていて、朝9時台から断続的にものすごい工事音がする。遅く寝て10時すぎに起きる生活が続いていたので、睡眠を阻害されるのがかなりきつく、やはりもうすこし早めに寝る習慣に正さなければと、思ってはいる。

-3:42



20240605 wed

4:32-4:46

ねむい。調整しそこねた仕事をしていたら朝になってしまった
一度も読み直していないようなものをゲラとして出してくるのどういう状況なんだろう
生活は破綻しているが精神状態は凪。仕事がたくさんあるときのほうが結局落ち着いているのかもしれない(仕事を切り上げるとそこには人生が横たわっているため)
お昼休みは『キッチン』の「満月」のつづきを読んだ
夜は打ち合わせに出たのと、ひき肉をこねて丸めて冷凍してあったやつを焼いてトマト缶を入れて煮込んだ。お鍋に放り込んで味付けしただけだが、ひさしぶりに料理をしたことになった。でも打ち合わせ前に冷や奴を食べたらもう別に食べたくなくなっていた、ので明日以降に食べることにする
部屋を片付けたい。もっとものを捨てたい
ぬいぐるみを買いたい。IKEAのシベリアンハスキーのぬいぐるみ、壱馬くんのネボ
はやく美術館に行きたい

明日も晴れますように



20240606 thu

4:27-4:37

仕事〜〜〜 とにかく調整をミスっている
集中力が途切れたら手当たり次第に部屋を片付ける ものをもっと捨てたいがケチなのでなかなか捨てられない いい感じの箱も捨てられない
月日が流れて変わっていくことを本当には受け入れられない部分があるみたいで、こんなに小さな部屋のなかにさえ手つかずの場所がある 一人なりにやっていくしかない



20240607 fri

3:30-4:48

きょうのかまみく、ちょっとおもしろすぎたな

いや、毎週おもしろいんだけどね まさか「名古屋まで一直線!」の続きがあると思わないじゃん

仕事をして部屋の掃除と片付けをして夜になり、朝になった。明らかに不要なものを捨てたり、出しっぱなしのものをどこかに収めたりしているだけなのであまり抜本的な改革には至っていないが、掃除機をかけたし棚のほこりも払って気持ちがいい。ただ、なんとなく悪い気配も忍び寄ってきていて、強迫観念的に片付けをしているような気もするし、現実逃避として利用している気もする。土日に仕事をしなければいけない。

ヤマシタトモコ『違国日記』を最終話まで読んだ(映画化を記念して全話無料公開されていた)。

胸を打つ作品に、言葉に、出合ったときに、以前はそれの「感想」を出力することに固執する心の動きがあったのだけど、いまは(単にさぼっていることの体のいい言い訳かもしれないが)、そこになにかメッセージがあるとして、それはその形式でしか表しえなかったものなのではないか、ほかに換言できるなら「その作品」である意味がないのではないか、と思うようになり、つまり肝心な(と思う)部分を掬い取ったつもりで、もっと大事な、いわば全体を取りこぼすような気がして、なにもうまく言えなくなった。
『違国日記』はいろんな要素がひとつひとつ本当に丁寧に描かれているから、なにか困難に行き当たったときに思い出すことのできる「部分」がすこしでもあればいいのかもしれない。たとえば……家族を許さないこと。

さみしさは、砂漠、海、クラブハウス。わたしのさみしさの風景はなんだろう、すぐには思いつかなかった。自分の部屋、部屋にいつもいる。ひとりの部屋はいつも快適で、楽しく、さみしい。

書き残すこと、書くことの現在性、書かれたもの、言葉にした瞬間に失われる、選び取られなかった感情や景色は、遠い未来まで持っていけない。

人は多角で多重で、一言では表せないが、これをとったらその人ではなくなる、というものがあることに、憧れる。そうだな、憧れていたんだ。
本、読書という行為、本の存在そのもの、に救われてきたように思っていたけど、ほんとうかなぁ。でも形づくられたのは確かだ。

漫画や小説の登場人物たちが、適切なときに適切なことを言えるのをうらやましく思う。『違国日記』は失言や伝わらなさや無共感についても描いていると思うけど、それでもどこかで帳尻が合っている。帳尻が合うというのとはちがうか。省みて、つぎの一手が打てている、というような。
というか会話劇としてもめちゃくちゃおもしろいんだよな、この漫画。

もうすこし書ける、書きたい、気がしたけど眠いので寝る。週末は元気にすごしたい。


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