見出し画像

29歳の現在地|2021年9月1日の日記

お誕生日で〜す

お祝いしてくれたみなさん、ありがとう。



去年のきょう、わりとまじめな日記を書いた。

はじめてスパチャをした日。たのしそうだね!

わたしは記録と定点観測が好きなので、ことしもいまの率直な気持ちをのこせたらと思う。わりと感情が無ではあるが……まあ書いているうちになにか出てくるかもしれない。


29歳! 28歳になったときよりは、数が増えたな!という印象がある。なんといっても20代最後の年だ。

わたしはいまの暮らしにそれなりに満足していて、時が経つことを嘆いたりしていない。「20代だから」やりたいことはないし、つまり30代になってできなくなることもないだろう。

年齢を重ねることについて、過去には「もううれしくないよ〜!」なんて口にしていたこともある気がするが、そのときの感情はまったく思い出せない。たぶんまわりの雰囲気にあわせてそう言っていただけで、ほんとうに嘆いていたわけではなかったのだと思う。年齢を理由にいやな思いをしたこともないし。


何十年か経ったあとに、20代のうちにやっておけばよかった!と思うことがあるだろうか。リックェさんみたいにスペインに渡って徒歩で聖地巡礼する? 仕事が……家族が……と考えず(優先順位を低くして)、自分ひとりのために大きな選択ができるのは若さの特権かもしれない。

でも、完全に想像でしかないけど、なにかをほんとうにやりたいと思ったら数か月くらいどうにでもなるような気がしてしまうんだよな。自分が「やりたいと思うことを実現する」ことにぼんやりとした信頼がある。わたしの人生はわたしがちゃんとやってくれるだろう。


「自己肯定感」のなさに苛まれることがいつのまにかなくなった。わたしにとってそれは20代前半の病気だったんだろう。くりかえし書いているけれど、自己嫌悪のくせを決定的に脱したのはオモコロを好きになったことがきっかけだったと思っている。

オモコロ界隈にいるのは、もちろんみなさん一芸に(二芸、三芸にも)秀でていて、すばらしい美点がたくさんある尊敬すべきひとたちで、同時にくだらなくてしょうもなくてどうかと思うようなところも往々にしてある。つまりそれが人間ってことで、完璧なんてないしそれを求める必要もない、この愛すべきひとたちみたいに過ごしていこう、とスッと思えるようになった。

逆説的に気づいたことだけど、それまでわたしの脳内には漠然とした「目指すべき人物像」があって、かなりの幅があるとはいえその道は一方向だった。それは「わたしが」進むべき道ではなく「全員が」とるべき進路だと思っていた。

オモコロを好きになって、「人はそれぞれちがう」ということの意味がわかったし、それでいいんだ、というまでもなく、ただそうなんだ、と知った。優しさとは「知っていること」だとわたしは思う。わたしは優しくありたい。



「現在地」というテーマでいえば、あとは仕事と合唱くらいか。仕事は不満もありつつまあ充実している。まだまだ実力不足だということを痛感する日々なので、驕らず弛まずやっていくほかない。

合唱は、昨今の情勢におされて縮小ぎみではあるものの、それでもよく活動しているほうだろう。いまはバッハとプーランクを歌っている。ボイトレや個人レッスンを受ける努力を怠っているので自分がどのくらい歌えるのかずっとわからない。でも「うまくなる」ことにいまは興味がない。もっとよく歌えるようになれたらいいのにとは思うけど。

先日ひさしぶりにホールで歌ったとき、なんだかんだ言っても歌うのが好きだと思った。これからもただ歌っていたい。



日々すこしずつ本を読んでいる。今年に入って読了が9冊、いま読みかけが3〜4冊で、なんとなくひさしぶりによく読んでいる気がしていたけど、去年は23冊、おととしは15冊読了したらしいのでぜんぜんすくなかった。いまは量はあまり気にせず、一冊ずつよく味わっていけたらと思う。

20代のうちにやりたいこととして思いつくのは、読むべき本を読むことくらいかもしれない。ぱっとタイトルが浮かばないけど。小説以外の本を読む機運が高まっているが、若いうちに読んでよかったと思えるような作品に出会う機会はいつも探っていたい。


家から出ない毎日で、きょうも特別なことはなにもしなかったが、こうして駄文をさらせる幸せを胸に眠ろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?