見出し画像

左と右が分からない。

タイトル、そのまんま。私は、左と右が分からない。全く分からないわけじゃないけれど、瞬時に左右を理解することができない。

よく視力検査などで、「右目を隠してください」とか言われると、「あれ?どっちだっけ?」となって、慌てて当てずっぽうで隠したりする。(そして高確率で間違える。)

だから、私が確実に左右を把握するためには、手のひらを確認する必要がある。なぜかというと、左右の手のひらで、手相が違っているから。私の場合、右手の手相がひらがなの「て」の形をしているので、それを頼りに左右を確認している。

今まで、私はさまざまな場面で左右を聞かれる度に、こんなふうにして左右を確認してきた。体育の授業で回れ右をする時も、自動車学校で車の免許を取るときも。誰にもみられないように、さっと手のひらを広げて、何食わぬ顔でその方向を向いた。

大人になればわかるようになると思っていたのに、いつまで経っても分からなかった。なんで皆はすぐに正しい方向が分かるのだろう。私はアホなんじゃないかと、本気で思っていた。

でもこの前、夫に「まりもって、もしかして左右分からない?」と聞かれ、初めてその話をした。自分の中で当たり前だったのと、分からない恥ずかしさから、ほかの人に話したことは今まで一度もなかった。

でも夫は馬鹿にするでもなく、純粋に不思議がって、すぐスマホで調べてくれた。すると「左右盲」という、左右を認識するのが苦手な人が一定数いることが分かった。その体験談の中には、私と同じように左右が分からなくて戸惑ったり、目印となるものを見つけてやり過ごしているということが書かれていた。

驚いたし、嬉しかった。私と同じように左右が分からない仲間がこんなにいたなんて。そして、それにちゃんと名前までついていたなんて。それが分かると、この左右盲が自分の面白い特性のような気がしてきて、左右が分からないことを楽しく捉えられるようになった。

息子の大好きなバスの歌では、いつも曲がる方向を逆にしてしまうし、夫に急に左右クイズで出されればほぼ間違ってしまうけれど、それも面白がっている自分がいる。最近では私の好きなアーティストも、「左右盲」という曲名の歌を出したりしていて、自分の歌のような気がしたり(いや、それはない)。

なんていうか、生きるのが少し軽やかになった感じ。みんなが当たり前にできることができなくたって、別にいいじゃない。その不便さすらも楽しんでいこうじゃないか。そんなふうに思えるようになった。

皆さんにも、こんな経験ありますか?