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13年前の『かずき』くんが教えてくれた大事なことの記録。







仕事を納めた先週金曜の12月24日の夜。オフィスからの帰りの都営新宿線の中で、母親とこんな会話をして、私の冬休みはスタートした。結局疲れ果てて料理する気にはならず、帰り道のローソンでチキンを買って、いつだかの飲み会の余りで残っていたキリン一番搾りのロング缶を飲み干して爆睡した。ケーキを食うなどの発想はこれっぽっちもなかった。チキンだけはなぁ・・・と一応は思って、千切ったキャベツを添えた自分を褒めてあげたい。


さてさて。ちゃんと振り返るのは、明日にでもするとして。本当に駆け抜けた12月だった。今、今夜の忘年会までの時間潰しのために入った新宿のコメダ珈琲(新宿に来てまでもコメダかよ)でスケジュール帳を開いてみて思った。本当に、本当に忙しかった。


スケジュール帳といえば、私はかれこれ10年くらい1月始まり(だけどその前年の12月もついてるやつね)の手帳を使っている。ここ5年くらいはずっと無印。今年はちょっと変えて、こういうスタイルにした。



合わせて1500円くらいだった気が。


A5なのか?B5なのか?具体的なサイズは分からない。片手を無理やり広げたときの大きさくらい。鍵盤のドからミくらいかな。それと同等のサイズのブックカバーを買って、挟むべきものを挟んでいる。こんな感じで。医療費の領収書とか、シールとか。あと実家で発掘された妹との謎のツーショット写真。



持ち歩いてると、縁起よさげじゃね?



で、12月はこんな感じで窒息していた。・・・とは流石の私も公開できない(色気のある予定もあったりなかったり激しくなかったり)ので、読み込んでみると、6日と23日以外の営業日は毎日出勤していた。フルリモートに近しい生活をしていた一年前のチームとは打って変わって。



都営線に乗ってオフィスに出掛けるだけで運動した気分になってしまうくらい、世の中の働き方や自分の生活が変わってしまったことに驚きを隠せない。3年前の毎日の歩数が気になる。今の私は毎日5000歩くらい歩いている。みんなはどんくらいなんだろうか?良かったら教えてください。知ったところで、何にもならんけど。


で、まぁこのスケジュール帳もあくまでも「予定管理」とか「買うものメモ」としてしか基本は使ってなくて、毎日一言日記とかつけてるわけじゃないのだけど、予定を字面で見るとその時の記憶が蘇ってくるもんですね。




12月9日 THU 新宿 19:30〜飲み




前夜に突然『かずき』というLINEアカウントから「みぞまりおひさ。久しぶりに飯でも食いに行こう」という連絡が入った。「ノート読んで思った」という言葉も添えてあった。いや、どの『かずき』だよ・・・でもきっとこの感じは・・・と恐る恐る確認してみたらドンピシャ正解。高校の同級生だった。


『かずき』くんとは3年間同じクラスで、私たちは早稲田の附属高校の1年B組で出会った。彼の名字はハ行で、私の名字はマ行。男女ごっちゃの名前順で出席番号が振られていたので、同じ川で、隣の席のケースが多く。彼は東京出身の都会っ子で、私からしたらそれだけで興味深かったのに、とにかく全然授業を聞かない子で。


先生に指されるたびに「あっ、先生ちょっと待ってください!!えっ、ねぇ、みぞまり、今どのページ???えっ、もうそんなとこまで進んでたのー!!すごー!はやー!あ、先生ちょっと待ってくださいね、えーっと」みたいなぶっ飛んだ子で。そしてそんなにまでぶっ飛んでいても、まぁ普通に暮らしていれば、100%早稲田大学へ進学できる附属校だったのに『かずき』くんは早稲田には行かなかった。



確か一年生の秋か冬か、そんくらいの時期だったと思う。『かずき』くんは我々に告げた。「俺、やっぱり医学部に行きたいから、その勉強始めることにしたんだ〜」と。それを聞いた時、内心、コイツ正気か?と思った。早稲田に医学部がないことは、この高校に入学する前から分かっていたはずだし、その可能性が少しでもあったなら何故わざわざ私立の附属校へ・・・?


でも『かずき』くんは続けて言った。「なんで?って聞かれても分からない。自分の気持ちに気づいちゃったんだから仕方ない!!」その一言を聞いて、当時の私は思った。本当にかっこいいと。今の自分にはそんな衝動的な判断をできる覚悟と勇気はない。そしてそうか、人生って、決まった選択肢の中から決めるものではないのか。と。



そんな『かずき』くんは、その後、高校に通いながらも相変わらず授業はほとんど聞かずに内職を続けた。卒業式には出ず、もちろん早稲田にも進学せず、受験をし、有名大学の医学部に合格した。そして今も有名大学の大学病院の泌尿器科で働いている。


久しぶりに会った彼(と、当日の朝にもう一人B組の仲間を誘って急遽三人で沖縄料理を食べた)は、当時のまんまで安心した。なんで泌尿器科を選んだかの理由は「取り扱っている臓器が意外と多いから」だとかなんだとか。本当に彼らしい。まだ飯食ってるのに???みたいなタイミングで、サーターアンダギーを勝手に頼み始める自由な感じも、昔のまんまだった。



帰りの電車で「突然の連絡でビックリしたけど飲めて良かったね」と私が言うと「俺も職場の人以外と話したいと思ってたから、このままだと考えが凝り固まっちゃうと思ってたから、二人と話せて良かった〜!!んじゃまたね〜!!!」と笑顔で返してくれて、彼は颯爽と都営線を降りていった。





『かずき』くんは、枠にハマらない生き方を、若干16歳の私に教えてくれた人。29歳の冬に、もう一度そのことを思い出させてくれた人。『かずき』くんは、13年経った今も「没入・没頭」を間違いなく体現していた。


彼のようになりたいともなれるとも思ってないけど、もしかしたら今の自分があるのは、彼のような変人との出会いがあったからなのかも。






今日からまた13年後、42歳になった私が、2021年のスケジュール帳に刻まれた「12月9日 THU 新宿 19:30〜飲み」の予定だけを読んで、このことを思い出せる自信がなかったので、noteにしました。


ちなみに、どーでもいいけど、彼のことを『かずき』くんと呼んだことは一度もありません。誰だか気になる同級生たちは、ちょうど年の暮れ、卒アルでも開いてみてください!



p.s. スキをすると出現するアキサクスタンプを久しぶりに更新しました。興味ある方はハートボタン押してってください。


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