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華屋与兵衛、家族の思い出と共に


私が小さかったころ、法事の帰り、家族の誕生日、
外食といえば華屋与兵衛だった。

お寿司を中心に、いろんなセットがあって
おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、わたし
叔父さんに、若いお嫁さんの叔母さん、赤ちゃんだったいとこたち。

みんな好きなものを食べて賑やかに
大きなテーブルで食べるのが大好きだった。

いつのまにか祖父が亡くなり、
叔父たちが引っ越し、
祖母も亡くなり、気がつけば華屋与兵衛も
近所から無くなった。

そして今度は母も亡くなり、
私は引っ越し先と仕事場である教室の
通勤路で華屋与兵衛と再会した。

久しぶりに入ると、昔とは違う最新のシステム。
和食屋さんメインで、お寿司は下の方のメニュー。

でも大好きだった冷たいうどんや、
銀杏の入った茶碗蒸しのセットがあった。


懐かしい味に懐かしい器。
昨年亡くなった母よりも記憶の遠い、
祖父母が笑う声が聞こえてくるよう。

母の一回忌も終えて、私の結婚式も控え、
そして長年乗り続けた仕事の相棒でもある
愛車の乗り換えも決まり、
春には本格的に新生活がスタートするような気分でウキウキだったけど、
時折寂しさが出てくる。

今日式場で見た参考ムービー。
花嫁が父母に感謝を伝えるシーン。
他人のビデオに号泣しておいて、ビデオプランは頼まなかったけど(笑)
泣いておいてあれだけど、私には伝えるための父も母も他界していない。

母とは3年間病と一緒に闘って、
後悔のないように日々接して来たから、
寂しさもあっても、ここまで生きてて欲しいというエゴは無いけど、でも、
生きていたらビデオを購入してプレゼント出来たかもしれない。

音楽ばっかりやって心配かけたおばあちゃんが
生きてた頃に結婚していたらどうだったんだろうか。


でも華屋に来て思う。
ここに来ると、小さかったみっちゃんに
戻れる気がする。
あの頃は何も持ってなくて、ただの子どもだったけど、それはそれで幸せだった。
幸せな時間を与えてくれて、感謝の気持ちしか無い。幸せというのは大きなことではなく、ほんの小さなことこ積み重ねなのかもしれない。
毎日の中にたまにある贅沢。外食。みんなで集まること。

春からきっともっと本格的に
新しい生活が充実してくる。
でも私の人生の中で、小さなこどもだった
私の事も忘れないために、
そして、祖父母や母の事も忘れないために
たまにはここに来ようと思ったりした。


華屋与兵衛さん。色々と経営も変わると思いますが、これからも続けてくれたら嬉しいです。

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