カオス・シブヤ
この1年渋谷にほぼ縁がなかった間に駅構内と周辺のカオス度が増したせいなのか、はたまた私の感覚が静かなディープリー・コツボとオアハカの果ての草むらとチェンマイのゆるい何かと鎌倉ローカルにしかない観光時間じゃない地元タイムに染まり切ったせいなのか、いやはやそのどちらもなのか、とにかく渋谷に久しぶりに行って約25年前に初めて秋葉原の駅構内で迷子になった時に感じた心細さを、再体験した。
渋谷で電車を降りて、行き慣れた場所に向かおうとしたのに、どうにも駅から出られない。
構内に道順のサインは出ているものの、その通りに行って空が見えるところまで来ても、一体自分がどこに出たのかがすぐに分からない。
どこもかしこも工事だらけで、目印になる建物を見分けるのも大変。
まさか自分が渋谷で、しかも駅から出られないような迷子になるとは思いもよらなかったし、これから仕事というタイミングだったので、一瞬ざわっと焦ってしまった。
時間に余裕を持って出てきたから、焦らずに気長に駅の周囲に沿ってぐるっと歩けばつくだろうと思い、なんとか109が見えるところまで辿り着く。
よかった、109はまだあったし、巨大モニターもまだあった。しかし他の部分の変化が凄すぎて、見覚えのあるそれらもかろうじてあったというレベルに見えた。
渋谷怖い。
道を歩けば観光だろうか、スマホで動画や写真をしきりにとっている外国人らしき人たちがとても多く目に入ってくる。そりゃあそうだろう、こんな場所、私だってまるで「異国」のように見えるのだ。別の国から来たら、渋谷のこのカオスな感じは、面白く感じるはずだ。しかもそれは、賑やかで発展して煌びやかなカオスではなく、ちょっと低迷してぐちゃっとしている中で必死にもがく発展課程なのか衰退途中なのかよくわからない混沌があるアジアの街中、という感じなのだ。
どこか別の国で見たことがあるような、しかしもはや2024年現代にはそんなアジアの都市はすでにどこにもないような、不思議な印象を覚えた。
何年も続いている駅の工事がいつか終われば、少しスッキリして、また渋谷のイメージもかなり変わるのかもしれないが、それでも工事が関係ない範囲、駅から出て少しだけ歩いた時の印象は、やっぱりあまり良い意味ではないカオス感で、それはこれからも変わらないか、もしかしたら悪化していくのかもしれない。
遠い遠い昔、モデルのレッスン生だった時代に渋谷から表参道まで歩いていたあの頃に感じていた渋谷は、もうどこにもない。
街も国も世界も、私も、みんな変わっていく。
変わったことが良いとか悪いとかじゃなくって、ただ「ああ、そうなんだな」と思った。