ココナラで初めて占ってもらったら意外と良かった
ココナラ、というシステムをご存知だろうか。私はなんとなくサービスの名前は知っていたが、色々なオンライン上でできる仕事を発注したり受注したりできるサービスなんだなという程度の知識しかなかった。以前、少しだけ興味を持ってサイトを何度か開いてみたりもしていたのだが、どうしてもあの目にギャンギャンと飛び込んでくるド派手広告のようなウィンドウの連続が苦手で、ページを見続けるだけで脳が疲れてしまい、何かを探すどころではなくなってしまっていた。ココナラのトップページを見続けるのは無理して頑張っても1分半くらいが私にとっては限界だ。ワーワーと叫びまくる何かがうるさ過ぎて、耐えられなくなってしまう。
そんな私が今回初めて、ココナラを利用してみた。
理由は、知人のInstagramだった。企画したヒーリング関連のイベントの告知だったのだが、そのイベントに占い師さんも出られるという内容が記載されていた。
占い師さんのInstagramがイベント告知ページにリンクされていたので、訪問してみると、ココナラのサービスを利用した占いを始めたとのこと。あれこれとインスタのポストを読んでみて気になったので、ココナラのトップページからその占い師さんを直接検索してみた。
その占い師さんのココナラのページは、ひどいケバケバしさを感じることもなく、ストレスなく内容を読むことができた。そして何度かInstagramとココナラのページを往復した後、特別価格期間中ということもあり、思い切って占いを頼んでみることにした。
内容は我が家の老犬ウイリアムについて。
メインはウイリアムから今後どうして欲しいか希望があれば聞きたいなという依頼だったのだが、オプションで飼い主用の占いもつけられたので、ウイリアム用1件と私用1件で合わせて依頼した。
ココナラを利用すること自体が初めてだったので、なんだかドキドキである。
どんなふうに返信が来るのだろう。どんな仕組みで進行するのだろう。
ココナラでメール鑑定のように文字情報でのやり取りで鑑定をお願いする場合、ココナラのマイページの中にある「トークルーム」の中でやりとりが進行する。購入の手続きが済むと、自動送信で占い師さんからトークルームにメッセージが届くのでそこに返信をしていく。
今回の場合は、占っていただく前の事前情報として老犬ウイリアムの詳細や飼い主の情報が必要だったので、トークルームに書き込んでメッセンジャーのように紙飛行機型の送信ボタンを押す。
占い師さんがメッセージを読むと既読のチェックが入るので、そういう仕組みなのかと理解する。なるほど。
「トークルーム」に鑑定結果が書き込まれ、受け取り、やりとりが終了したら、「トークルーム」に納品を承認するボタンが表示される。そこをポチッと押せば納品が承認されて終了。その後、今回の占いを評価するためのページにトークルームの右上から入れるボタンが出てきたので、そこをポチッと押して、星5つまでの評価やコメントでの評価をつけられるようになっているので、そこにも書き込む。
面白いのは、この評価のシステムが、お仕事を受けた占い師さん側が評価されるだけではなく、占い師さん側から依頼したお客様への評価もあるという点だった。なるほど。世の中いろんな人がいるわけで、この双方評価システムは面白いなと感じた。
そんなわけで、一人大騒ぎしながらココナラというものを初めて使ってみたわけだが、案ずるよりもなんとやらで、案外使いやすかった。
ただやっぱりトップページから興味がある内容を探そうとすると「ウッ」と息が詰まりそうになって胃もたれしてしまう。あの画面から迫ってくる派手な広告感はどうしても私には辛かった。今後も、別のページ経由でココナラで何かしているよという方に興味を持ったら、ダイレクトに検索して依頼するという形をとるかもしれないなと感じた。
何事も経験である。ココナラってこういう感じだよというのを実際に利用してみて知ることができてよかった。ちなみにケバケバしく見えてしまう画面が悪いというわけではなく、これはおそらく私の方に問題がある。私はYouTubeなどの一般的にバズるなどと言われている視聴率が高くなる仕組みのようなサムネイル(トップ画面)もとても苦手で、み続けられない。結果、YouTubeも特定の何かを検索してそのページだけ見る。横に羅列されたおすすめ動画のサムネイルを連続してみているのも辛いし、派手なサムネイルが並んでいるクリエイターさんのページを見ていると内容が全く頭に入ってこなく、結果どの動画もクリックできずにページを閉じることになる。
私はちょっと視覚情報から受け取るものが多いと、疲れてしまうタイプのようだ。それもビジュアルイメージだけを受け取ればいいものの、静止画のトップ画面を見ているだけのはずなのに渋谷のスクランブル交差点に放り込まれたような騒々しさと人の多さと、とにかく「何かが多すぎる!」と逃げ出したくなるようなものを自動的に受け取ってしまうのだ。厄介である。これは瞑想の副作用の一環でもあるかもしれないなと最近は思っている。若かりし頃はこんなことなかったのになあ。え、老化で脳の回転がスローになっただけで若者についていけていないだけじゃないですかって。そうかもしれない。確かにそうかもしれない。