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手のひらから煙、指先から光

お知らせ

一般的に「目には見えないもの」と言われているものや、触ることが出来ないのに存在すると主張する人たちがいる何か、についての話が苦手な方は、お読みいただいてもピンとこないと思うので、この記事は飛ばしていただいて結構です。


てへ♪


さて、では。本日の話。


今日の話は、その「一般的には見えないと言われているもので、物質として触って確認も難しいもの」についてだ。

思い返せばそれらしい傾向は幼少期からあったような気もするのだが、具体的に気になり始めたのはコロナ禍からだった。
仕事が全てキャンセルになり、家にいる時間ができたわたしは、あの頃毎日瞑想をしてみることにして、自分の忙しくてザワザワしていた心と毎日向き合っていた。当時は本当に、今よりもずっと心がトゲトゲしていて、たくさんのバリアで自分を守り、何重にもなったガードの中から力技で無理やり勢いをつけて行動していたような有様だったと、今になって思うのだが、渦中はそんなことも気がつけずに、ただひたすら、何かと闘うように毎日瞑想に「奮闘」していた。

しばらくの間は、瞑想をしようとしてもたくさんの情報が頭を駆け巡り、まさに「頭がうるさい」状態からなかなか離れられずにいたのだが、次第にほんの少しずつだが心から静かになれる時間が生まれるようになってきた。

そんなある日のこと、あれは窓から差し込む夕焼けが綺麗な日だった。自分の手をカーテン越しの夕焼けにヒラヒラとかざしてみたら、なんとその手のひらから煙が出ているのである。最初はゴミが舞っていると思っていたのだが、まるでお香をたいた時の煙のように見えてきた。奇妙に思ってしばらくみていると、網戸にしていた窓から風がそよそよと吹き込んできて、手から立ち上る煙は風にゆらっと流されていく。間違って何かが燃えていて煙がどこからか上がっていないか確認したがどこにもなさそうなので、やっぱり手のひらから煙が出ているとしか言えない状況だと判明した。

あまりのことにしばらく呆然とし、けれども面白さも感じて、ふわふわと手のひらから出ていく煙を眺めて遊んでいた。一番近い例えとしては、とても寒い日に熱いお風呂に入って、そのお風呂上がり、タオルで拭いた体からもうもうと湯気が出ている様子だ。北国育ちでは脱衣所は寒いことが多いので、冬にはよく見かける光景なのだが、寒い地域に馴染みがない方は、冬に沸かしたお湯の湯気を想像していただければと思う。湯沸かしよりも広い範囲で湯気がたちのぼっている状態が、まさにわたしが見てしまった手のひらから立ち上る煙だった。

煙が出ていたのは、何分くらいだったのか覚えていないのだが、しばらくすると消えてしまい、はたと我に返ったわたしは、ネットで検索してみた。
すると、同じような体験をしたことがある方の記事がいくつか見つかった。
検索情報だけを鵜呑みにするならば、どうやら、それが「レイキ」というモノらしい。

その日以来、瞑想をした後には、何度かじっと手を見つめてみていたのだが、ほんのり煙が見える時と、全く見えない時があった。むしろ当時は全く見えない時の方が多かったように思う。

その後、特に自分が見えてしまったものを否定するわけでもなく、追求するでもなく、「まあでも、そんなこともあるかもね」くらいにして、特に手から出るレイキらしき煙のことは、あまり気にしないでおこうと思い、時が流れていた。

そして昨夜、事件は起こったのだ。
わたしは最近にしては珍しく、場をきっちり整えてからしっかり瞑想しようと思い、師匠直伝のわたしのファーストシンギングボウル(1個目として買ったもの)を鳴らしてセルフケアをした後、短い瞑想をしていた。
その時、ふと、部屋の対角、わたしの背後で寝ていた老犬が気になり、わたしは振り返った。気持ちよさそうにわたしに背を向けて寝ていたのだが、何を思ったのかわたしは老犬の背中に向かって手を伸ばしてみた。すると老犬がハッと顔をもたげたのだ。手をかざしてから0.5秒後くらいのタイミングだった。わたしは「いや、まさかね」と思い、老犬も何が何だかという様子で、また頭を下げて眠りに入った。試しにもう一度同じように、手を老犬の方に向けてホイッとかざしてみた。まるで手から空気の玉がポンと押し出されるように。するとなんと老犬は再び「え?何?」と頭をもたげたのだ。全く同じ、わたしが手をかざしてから0.5秒後くらいのタイミングだった。

2度あることはなんとやらだが、流石に老犬の睡眠を妨げてまで実験するのも憚られて、今度はわたしが寝ている老犬の近くまで擦り寄ってみた。一体わたしの手に今、何が起きたのだろう。

犬の体のすぐ近くで今度は正面に回り込んだ状態で手をかざしてみる。何の反応もない。
「そりゃそうか、気のせいだったよな」と思いながら、なんとなく自分の手を見ると、びっくり仰天。指先から光が出ているではないか。コンタクトレンズの不具合で、レンズに目やにでも付着したのかと思ったが、全然違った。明らかに、指先から漫画のように光線が出ていたのだ。
我が家の老犬の毛の色は黒だ。指先から出ている光線を老犬の黒い毛に当ててみると、しっかりサーチライトのように毛が照らされてしまった。ここまでくると、パニックはとうに超えており、新商品に搭載された新機能を見るかのように、自分の指先から投射される光を眺めていた。照明要らずなほどの明るさではないものの理科の授業の実験で使った豆電球くらいの明るさはあっただろうか。あまり遠くまで照らせるものではないのか、せいぜい20センチくらい離れた場所までサーチライトの光が届いているような見え方だった。面白くなってきてしばらく指をヒラヒラさせながらサーチライト(指)を動かしていたのだが、ちょっと集中力が切れたタイミングで光は消えてしまった。

その後、もはや指先から光が出たことを疑うというよりも、さっきはどうやって出したんだっけ、という思考回路になってしまい、呼吸やあれこれを試しているうちにパターンが少しだけ見えてきた。それでもまだ不確実だ。
しばらく光が見えたり、消えたりを繰り返し、疲れてしまったので、この日はこのあとぐっすり眠ったのだが、翌日、もう一度試してみれば、前日は右手の方が光が出ていたがその日は左手から光が出ていた。必ずしもというわけではないのだが、光が強く出ている時は指先がビリビリと痺れるような感覚があった。

「で、なんなの」と言われるとわたしも「で、なんなんですかね」と返すしかない。
指先から光が出ちゃってそれが見えちゃった。百歩譲ってそれは良いとする。しかし、この指先から光が出てそれが見えることによって、何か、役に立つこととか、あるんだろうか。わたしは楽しいけれど。
わたしは、わたしが楽しいっていう理由だけで、指先サーチライトという新機能を満喫していて、まあそれはそれでいいんだろうけれど、「だから何」という話なのである。

ここまでお読みいただいて、今日の話は「だから何」なのである。

だがたまには、誰にも1ミリも役に立たない話でもいいんじゃなかろうか、ということで。

下手すぎる図解を最後に載せておく。


絵の才能皆無を説明する図ではありません

指先から出ていた光は、オレンジのような透明感のあるもので、一度だけシルバーの光線の中にラメのようなダイヤモンドダストのようなモノが混じった光線を見たのだが、それこそゴミの反射だったのかもしれない(指先から出ている光にゴミが反射したと思っている時点でどうかとも思うんだが)。

iPhoneに搭載されているライトくらいの明るさがあったら、夜道とか、便利なのに。微弱な蛍くらいの明るさで、本当にどう使い道があるのか、全くわからないやつです。しかし新搭載指先ライトはわたしを楽しませるという機能があります、おわり。


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