百花 川村元気

年齢を重ねることで喜びも悲しみも同じくらい積み重なっていく。でも積み重なりすぎることはない人間の記憶。大体の人は、ほとんどの体験を忘れていく。認知症って普通の健忘症とどこが違うのか。記憶がなくなるのは仕方がないが、それが繋がらなくなっていくことが大変だ。身近な肉親、特に大切な母親の記憶が失われていくのは見ていられない。周りの人たちの自己嫌悪にもつながっていくのではないだろうか。もっとその人を幸せにしてあげていたら過去の記憶が食い違ったり失われたりすることがなかったのではないか、と。

人間は辛いことがありすぎるとどんどん昔のことを忘れていくものなのだろうか。それとも幸不幸関係なく記憶がどんどん繋がらなくなって今の自分のこともわからなくなっていく人がいるのだろうか。

アルツハイマーとは過去の記憶がなくなるのではなくて現在の自分がわからなくなっていく症状のように描写してあったが、その他の人の意見を聞いてみたい。現在の自分がどうなっているのかなんて自分でもわからないのだから何を基準に今の自分とか、過去の自分とか判断していくのだろう。

記憶は時として自分の都合の良いように歪められていく。確かな記憶は媒体を通してしか確認することができない。媒体によって記憶を確認するのは大切なことなのか?泉は百合子の日記を読むことで謎の失踪の一年を知ることになったが、そもそもその日記には本当のことが書いてあったのか。また、もし、その日記がなかったら泉は母がなぜいなくなったのか一生知ることができなかったわけだが、だからと言って、泉はその日記を読むべきだったのか。失踪の理由を知ったからといって何かあったのか。例えばシングルマザーの子育てはストレスが多すぎて逃げたくなったとか。実際逃げたのか本当に相手の男が好きだったのかは自己分析がなかった。

正確な記憶を記したものがあるからといってそれがその人の本当の記憶かどうかはわからない。記憶と事実。記憶が違うからといって本当に事実と照らし合わせていいものなのか。人間の記憶とは、幸せに生きていくための思い違いか。

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