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無機質に温度を。

ビルの連なりに、私は人間を感じない。私の目には、それらはひどく無機質で、生命を失った灰色に見えた。コンクリートも、アスファルトも、電柱も、ガードレールも、曇り一つなく磨かれた窓ガラスでさえ、どれも味気なく、私の視界を横切っては消えていくだけだった。


もう何年も前に東京タワーに登ったとき、視界を埋め尽くすビルを見た。夕闇に染まった夜の街を眼下にして、展望台には静かな歓喜がざわめいていた。

地上の星─。
だれかがそう言う声が聞こえた。きっと、そういう言葉がふさわしい場所だった。けれど、私にはどうにも似つかわしくない言葉だった。そこにあるはずの美しさが、到底、私には理解できなかったのだ。

無機質なビルの群れ。移動する自動車のライト。それらがただ淡々と、存在しているだけだった。

そういう私にとっての無機質に、有機性を感じられる人が心底不思議で、同時に憧れも持っていた。私には人間の造形物を愛する能力が、欠如しているようだった。

もし、赤々とした炎を目の前にすれば、私はそこに人間を感じる。太古昔のホモ・サピエンスが感じたであろう喜びが私の中にも脈々と繋がっていること感じることができる。
けれど、生まれてこの方、私はその"星々"を美しいと思ったことがない。


いつだったか。山の奥の、温泉に赴いたことがある。そこは温泉につかりながら夜景がよく見下ろせると評判の場所で、道中友人たちの興奮が伝わってきた。

私はといえば、温泉につかることができればよかった。雪や川が見えるのならともかく、人間のつくった光に興味はなかった。
その期待のなさに反して私が持ったのは

─美しい

という感覚だった。

けれどそれは光を溜め込んだオレンジ色の星々に対してのものではなく、その光の粒たちを存在させる身を切るような辺りの暗闇に、私は惹かれているのだった。暗闇の中に凛と存在する空の星や月の光が神秘的で、友人が眼下の町を見下ろす横で、私は空を見上げていた。

私が美を見出すのは、人間がつくり上げた滑かな造形ではなく、途方もなく大きな何かに対してだった。

やはり、私は愛せない。
そういう諦めがもうずっと私の中に巣食っていて、それをただ再認識されられていくばかりだった。



ふと、そんな光景が次々と頭に浮かんだのだ。小林秀雄が美について語るのを読んだとき。

「触覚の世界へ、どうしても行くのですよ。」

骨董の美について語るとき、小林秀雄はそう言った。

焼き物は、「絵付けだけで見事」というのはさか立ちした見方で、絵付けは最初に目に入るが、土を感じ膚を経験する見方が一番自然なのだ、と。

触覚の世界。
思えば私が火を目にしたときに感じる喜びは、限りなく身体的で、その場で皮膚が感じる熱さなのだ。眼下の光の町々よりも、私の生活に寄り添っているのは月なのだ。

そう思うと、無機質の奥にほんのわずかに温度が感じられるような気がした。

あの夜、地上の星を喜んだ人たちは、そこに人間の生活をみたのだろうか。あるいは幾何学のような計算されたような連なりが、それを計算した人間の存在の影を彼らに感じさせたのだろうか。地上の星をみて目を輝かせた人たちは、いったい何を─。

友人たちが持っていた美の感覚は正直なところ私にはまだわからない。わずかな温度を感じ取れるようになったのみで、私はまだそれを美しいと呼ぶことはできない。それでもそれを美しいと呼ぶ人たちの触覚を、想像したいとは思ったのだ。自分の感覚を驕らず、知識として与えられた美に傾倒するのではなく、その触覚を。

美の世界は大変私のことなんですよ。ささやかということは「私」の経験だよね、今の教養人はそういうささやかな経験を持たないんだよ。持つ機会がなかったり、そういうささやかな経験を侮べつしたりするんですよ。

━「小林秀雄 江藤淳 全対話」美について
小林 美など少しも愛していないくせに、文化には美が必要であるなどと言いたがる。その言いたがるところから美に対します。だから、なにもかもめちゃくちゃになってしまうのです。
江藤 ところで、どういうんでしょうか。さっきの逆から見ていくという態度が、非常に一般化してしまっているということは、ちゃんと生活していないからなんでしょうかね。
小林 知識過剰ですかな。言語過剰かね。美なんて非常にすぐ側にあるもので、人間はそういうものに対して非常に自然な態度がとれるものなんですよ。生活の伴侶ですから。(中略)まあとにかく、ジャーナリズムでは小説がさかんでしょう。しかも小説はたいへん批評的なものになっていましょう。そのほか、論文とか報道とか、みんな知識の誇示だ。片方では政治的な行動的傾向がつよいでしょう。政治的経験というのは、美的経験というものと全然関係がないからな。

━「小林秀雄 江藤淳 全対話」美について

美が、真に「私」の経験にあるのだとするなら、他人のそれを蔑ろにしたくはない。そして、自分の持ちうる美の感覚がいったいどこから生まれたものなのか、懐疑的でなければならないだろう。そしてそれを丹念に、慈しまねばならないだろう。

自分の目で物を見るために。

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