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あたりまえの壁の崩壊

この人たちに救われているな、と感じることがあります。以前よりも私が何を感じ、何を考えるのかを大切にできるようになったから。そして思います。ああ、私、変わったんだ、って。

「人が変わる方法は3つしかない。」もう何年前に知ったのか、誰かに聞いたのか、何かで読んだのかも記憶にはないけれど、最近思いだした大前研一さんの言葉。

人間が変わる方法は3つしかない。

1番目は時間配分を変える。

2番目は住む場所を変える。

3番目は付き合う人を変える。

この3つの要素でしか人間は変わらない。

最も無意味なのは「決意を新たにする」ことだ。

私の人生に何度となく現れる言葉なのですが、その時々に、どれも変えられそうで変えるの難しいんだよね、と思っていました。でも、気がついたら私はきっとすこしだけ変わっていた。どうしてだろうと考えたとき、きっと変わったのは、「付き合う人」だと思うんです。

生活はそれほど変わっていません。2年前に大学を卒業して、社会人になったという大きな変化はあったけれど、それでも私の生活はそれほど変わらなかったと思います。それなのに最近になって自分は変わったと感じる理由、それはインターネットの恩恵なのだと思います。


「WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE.」という本の中で、著者の佐渡島さんは、インターネットの恩恵をいち早く受け取ったのはマイノリティであると述べています。インターネットはすべての関係をフラット化するので、「自分たちのあり方について日頃から自問自答していて、自分たちがどうしたいか、どう生きたいかを知っている人は、ネットによってすごく救われている。」と。すごく納得感がありました。私も救われた一人なんじゃないかと思ったからです。

ネットやSNSでは、様々な人の発言に触れることができます。共感するもの、しないもの、好きなもの嫌いなもの、憧れるもの否定したくなるもの。ネット以外の直接の人間関係では出会うことのできない発言が、集めきれないほど溢れています。だからその中で、尊敬する人の感性にたくさんたくさん触れたり、その考えに触れたりするのは、もはや付き合う人を変えたのと同じような効果を持つんじゃないか、と。そして、それらの発言が私にくれたのは、私の中のあたりまえの壁の崩壊です。私は自分でつくりあげた「あたりまえ」にこんなにもがんじがらめになっていたのか、と驚くほど。あたりまえってきっと本当に力のあるもので、その外側の景色を見えなくさせてしまう。あたりまえの中にいた方が楽だし、安全のような気がしてしまうから。こうしたい、と思うものがあった時、あたりまえの壁にぶつかると、一気に力が抜けてしまう。「ああそうだった、これはできないんだった」って、一瞬の洗脳。でも、そんな壁なんて存在していないかのように、その外側のことをやってのける人を目の当たりにして、私は初めて自分で壁をつくりあげていただけだったということに気がつきました。自分はできないんじゃなくてやらなかっただけなんだな、と。そして、自分の見ている世界がどれほど狭かったかということを知りました。

壁の外側の景色を見せてくれている方々に心から感謝を。


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