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ウクライナに千羽鶴を送ること

先日私がツイートした内容が炎上しました。
といってもこの投稿の主題を考えず、一部だけをみて怒っている人もいれば、多くの人は私のツイートの真意となる主題を理解してくれたようです。

しかし、鶴が不吉な兆候であることはデマだということにこだわっている人がいるのでウクライナではどうなのか調べてみました。

ちなみに、私はこのツイートで「ヨーロッパでは不吉な鳥の象徴である」と書いていますが、ウクライナとは書いていません。
これは日比谷花壇のこちらの記述を引用しました



ところが批判している人のツイートをみると、いつの間にか私が「ウクライナで不吉な鳥」と言ったと変化し叩いているようです。しかも、私の一番言いたかったことには読み取っていただけてないようです。


そういうわけで「ウクライナではどうなのか?」ということを調べてみました。

確かに鶴についてウクライナでは、良い意味でもあります
そしてロシア地方でもその傾向があります。

ちなみにウクライナ語のウイキペディアでも鶴ついて調べてみました。その説明は次のとおりです。

鶴はウクライナ人の生活の中でも重要な位置を占めており、春の象徴の一つ(「鶴が来た-暖かさをもたらした」)、鳥の行動は天候を推測する(「鶴が高く飛ぶ-冬はまだ遠い」「鶴が低く飛ぶ-冬は近い」「鶴の早い到着-早春に」)。タンチョウ鶴はクリスマスから13週間後に到着すると考えられていた。春には「鶴」という言葉の「一時的なタブー」があったという証拠がある:最初の重要な鶴を見て、「鶴」という言葉を声に出して言うことはできない - 「一年中悲しむから」、しかし「虹」という言葉を使う ]."鶴 "は、踊り手が鶴に扮する民話の踊りである。この踊りは通常、姓名判断で行われた。この鳥は警戒(「鶴のように見張っている」)、孤独(「鶴のように沼地を歩く」)、ガルビス(「鶴が祖母の麻にしがみついた」)の象徴である[6]。"Crane "はハクビシン男と呼ばれ、また井戸から水をくみ上げるためのレバーも-鶴の長い首に似ていることから-呼ばれている。

しかし、ウクライナの【鶴:鶴がさまざまな国や人々の文化の中で象徴しているものという記事によると次のようにスラブ地方について次のように説明されています。

スラブの信仰によれば、鶴は神の使者でもありました。秋には、鶴が死者の魂を奇妙な世界に連れて行くと信じられていました。そして春には、鶴はすぐに生まれる運命にあった赤ちゃんの魂に同行します。もちろん、鶴の飛び立ちと到来は冬と春の接近を判断になります。
引用:Журавлі. Що вони символізують в культурі різних країн і народів.

こういったことから死者の魂を運ぶものとして教会に飾られることはあるようですね。

Kościół św. Piotra i Pawła (Teatral’na St 11)


そして、ウクライナUKRLIT.ORGの公立電子図書館のサイトによる鶴についての説明を抜粋します。

 жура́в (ж. Жура́вка, журавли́ця); reduced-caressing - a crane, a crane (ж. жура́вочка); 鶴-鳥 鶴)-長い足と首、まっすぐな鋭いくちばしを持つ大型の渡り鳥、ポリスや草原の湿地に住む、神の鳥、太陽の鳥、鳥の行動は天気を推測する-「鶴が飛んだ-暖かさをもたらした」「鶴が高く飛ぶ-冬はまだ遠い」「鶴が低く飛ぶ-冬は近い」「鶴が早く来る-春先に」、春の前兆。クリスマスの13週間後に鶴が到着すること。
鶴が渦の中を飛ぶのは、聖書の中で預言者エレミヤが言ったように、一年のうちで最も暖かい時期の終わりを示す明るい兆し。
「キジバトとツバメと鶴は到着の時を守る」。俗説では、春に最初の鶴の棒を見ると、一年中喪に服しているので、「鶴」と大きな声で言えない、この鳥は警戒心(「鶴のように見張る」)、孤独(「鶴のように沼を歩く」)、ガルビス(「鶴は祖母の麻を願う」)の象徴

そうなると「この死者を運ぶという」意味をどうとらえるか?ということになりそうです。
人によっては「死を運ぶ」ということから「不吉なもの」と受け取ることもありそうです。
生死と日常的に直面している戦時中の現在、武器や医療品が欲しいといっているウクライナに折り鶴を贈ることがいい事なのか?私は疑問です。
(もちろん個人的に関係性のある人の送るのはありだと思いますが。)

もちろん私がこのツイートで主張したい主題は《千羽鶴を送ることについて必ずしも好意的に受け取られるものだろうか?ちょっと考えて欲しい》ということでした。

私のこのツイートの主旨を考えず、鶴にこだわっている人からのヒステリックな非難が絶えません。
しかし、このツイートがデマだデマだと言い、ヒステリックに責めるほどのことでしょうか。
ウクライナだって広いです。
そのすべてをご存知なんですかね?


それで一応今日このように書きました。

ですので、「ヨーロッパではやはり不吉」と捉えられる部分があるという可能性のあるものは、避けるべきだと私は考えています

相手への思いやりや状況を考慮することなく、自分達の感覚と風習に基づいて送っていいものだろうか?と思います。

援助するなら相手の欲しいものや役立つものを寄付し、そこには相手への思いやりが必要ではないですか。

【追記】
私の教会(カトリック)でもウクライナへの特別献金の案内がありました。

カトリック教会の場合は、カリタスジャパンなど確実に献金が届くシステムがあるので、信者さんたちも快く献金します。

同じような形で欧米のキリスト教圏では行われると思います。

日本が戦後に、何かというと海外のカトリック教会の一般の信者さんたちから献金を集め、そのお金で孤児院をたて、学校を立てという感じで、なにかというと献金が日本に贈られてきたことは、一般の人は知らないのではないか?と思います。
多分、プロテスタントも同じような形で行われていると思います。

日本人は偶像崇拝ということに鈍感だけど、キリスト教圏では、国によって、もしくは人によっては、こういう偶像崇拝みたいなのを本当に嫌がる人たちもいるんですよね。
こういうことを日本人と同じ感覚で押し付けてはダメだと思うのですよね。

これは私の一つの意見にすぎませんが。

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