ウクライナに千羽鶴を送ること
先日私がツイートした内容が炎上しました。
といってもこの投稿の主題を考えず、一部だけをみて怒っている人もいれば、多くの人は私のツイートの真意となる主題を理解してくれたようです。
しかし、鶴が不吉な兆候であることはデマだということにこだわっている人がいるのでウクライナではどうなのか調べてみました。
ちなみに、私はこのツイートで「ヨーロッパでは不吉な鳥の象徴である」と書いていますが、ウクライナとは書いていません。
これは日比谷花壇のこちらの記述を引用しました。
ところが批判している人のツイートをみると、いつの間にか私が「ウクライナで不吉な鳥」と言ったと変化し叩いているようです。しかも、私の一番言いたかったことには読み取っていただけてないようです。
そういうわけで「ウクライナではどうなのか?」ということを調べてみました。
確かに鶴についてウクライナでは、良い意味でもあります。
そしてロシア地方でもその傾向があります。
ちなみにウクライナ語のウイキペディアでも鶴ついて調べてみました。その説明は次のとおりです。
しかし、ウクライナの【鶴:鶴がさまざまな国や人々の文化の中で象徴しているものという記事によると次のようにスラブ地方について次のように説明されています。
こういったことから死者の魂を運ぶものとして教会に飾られることはあるようですね。
そして、ウクライナUKRLIT.ORGの公立電子図書館のサイトによる鶴についての説明を抜粋します。
そうなると「この死者を運ぶという」意味をどうとらえるか?ということになりそうです。
人によっては「死を運ぶ」ということから「不吉なもの」と受け取ることもありそうです。
生死と日常的に直面している戦時中の現在、武器や医療品が欲しいといっているウクライナに折り鶴を贈ることがいい事なのか?私は疑問です。
(もちろん個人的に関係性のある人の送るのはありだと思いますが。)
もちろん私がこのツイートで主張したい主題は《千羽鶴を送ることについて必ずしも好意的に受け取られるものだろうか?ちょっと考えて欲しい》ということでした。
私のこのツイートの主旨を考えず、鶴にこだわっている人からのヒステリックな非難が絶えません。
しかし、このツイートがデマだデマだと言い、ヒステリックに責めるほどのことでしょうか。
ウクライナだって広いです。
そのすべてをご存知なんですかね?
それで一応今日このように書きました。
ですので、「ヨーロッパではやはり不吉」と捉えられる部分があるという可能性のあるものは、避けるべきだと私は考えています。
相手への思いやりや状況を考慮することなく、自分達の感覚と風習に基づいて送っていいものだろうか?と思います。
援助するなら相手の欲しいものや役立つものを寄付し、そこには相手への思いやりが必要ではないですか。
【追記】
私の教会(カトリック)でもウクライナへの特別献金の案内がありました。
カトリック教会の場合は、カリタスジャパンなど確実に献金が届くシステムがあるので、信者さんたちも快く献金します。
同じような形で欧米のキリスト教圏では行われると思います。
日本が戦後に、何かというと海外のカトリック教会の一般の信者さんたちから献金を集め、そのお金で孤児院をたて、学校を立てという感じで、なにかというと献金が日本に贈られてきたことは、一般の人は知らないのではないか?と思います。
多分、プロテスタントも同じような形で行われていると思います。
日本人は偶像崇拝ということに鈍感だけど、キリスト教圏では、国によって、もしくは人によっては、こういう偶像崇拝みたいなのを本当に嫌がる人たちもいるんですよね。
こういうことを日本人と同じ感覚で押し付けてはダメだと思うのですよね。
これは私の一つの意見にすぎませんが。
海外ニュース翻訳情報局の活動資金にさせていただきます。 当サイトでは、他で発信されていない海外の公式発表を中心に翻訳する活動をボランティアで行っています。この活動をこれからも健全に続けていけるよう、どうぞ皆様の温かいご支援をお願いいたします。_(._.)_