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夢中には勝てない

今一緒に仕事をしている方や、SNSで知っていてくださる方は、私が美容専門学校で教員をしていたなんて想像できないと思います。

私も、あまりこの頃のことは語る機会もなく、振り返る機会もありませんでした。
昨日は専門学校を辞めた時のことを書きました。
罪悪感から逃れられない日々

10年看護師をやった後に、美容専門学校の教員になったと言うともっとイメージが湧かないと思います。

私は6年前の1月から、名古屋のブライダル系、トータルビューティー系の美容専門学校の教員(ヘアメイク担当)として入職しました。

4月には新入生を迎え、35人のブライダルクラスの担任に着任しました。


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この集合写真を撮影した4月の入学式には、もう疲労200%でした。
3月の卒業式、オープンキャンパス、教材の手配(これが地獄)、3月で退職する先生方からの申し送り(大人の事情で、全員辞めて全員新人という地獄絵図の年度)、学生の入学準備、そして私はメイク講師の資格勉強、実技トレーニング、講義の実技試験の準備など、本当に寝る暇も休む暇もなく、とにかく必死で毎日を過ごしていました。


看護師からヘアメイクの世界に行くのってそんなに簡単なんですね!って言われることがあります。

違う。

これは確かに奇跡的なご縁でいただいた仕事だったかもしれませんが、だからといって、スキルが求められないと言うことではありません。
校長としては先行投資というか、4月の講師デビューに間に合わせてくると100%信頼して採用するしかなかったと思います。


私がメイクを学び始めたのは、看護師を辞めてからです。
何かしたいことがあって看護師を辞めたわけじゃないので、

「これから何で生きていこうかな。」
と迷っている時にメイクの道へチャレンジすることを勧めてくれた人がいました。

デパコス大好き!メイク大好き!
の私でしたが、完全にヘアメイクの世界をなめていました。

メイクでプロになるなんて、本当に夢のような話だ。というのは学び始めてすぐにわかりました。


かなりの学費と教材費をかけてせっかくチャレンジしたけど、これを仕事にして生きていくなんて無理だろう


その前に「好き」か「好きじゃないか」
それで言えば「好きじゃなくなった」という感じでした。

好きじゃなくなったのに、チャンスとは悪戯なものでそう言う時に私を試すようにやって来ました。


私のメイクの最初の師匠から
「私が以前勤めていた専門学校でヘアメイク担当の教員の欠員が出るみたいなんだけど、チャレンジしてみない?」

(え!この状態から抜け出せるんだったら、なんでもいいや。やりたい!)

「やりたい?やりたくない?」

「(やりたいかはわからないけど)やりたいです!やります!」

ここから怒涛の日々が始まりました。


私はその時、美容形成外科の看護師をしながらヘアメイクを学んでいました。私には美容形成外科の仕事は本当に合っていなくて、8キロほど急激に痩せたところでした。

もうこれをこのまま継続するくらいなら、ヘアメイクの先生になる!

なんとも不純な動機でした。


しかし、履歴書を書いて面接、ほぼ即日採用。
そして、その専門学校が加盟している協会の認定講師の資格取得に向けて猛勉強と猛特訓の日々。

かなり追い詰められました。

専門学校の仕事をしながら(1月に入職して、2月3月に試験まみれ。4月に新入生迎える。)、とにかく必死でした。

専門学校に同時に入職した、かなり実績のあるネイルの先生が頼りになる先輩であり、親友であり、戦友でした。
罪悪感から逃れられない日々 に登場します。

彼女に助けられ、励まされながら、瀕死の状態で学び、名古屋から東京に泊まり込みでの5日間の研修に参加したり、あの日々は本当に必死すぎて、記憶が途切れ途切れです。


しかし、不純な動機でヘアメイクを志した私に変化が訪れました。
猛勉強、猛特訓、スパルタコーチからの愛ある鬼指導を経て、私の技術も上がっていったのです。そしたら、ヘアメイクが楽しくなって来たんです。


こんなにヘアメイクは人を変えることができるんだ!コンプレックスだったパーツの配置や、顔の形も錯覚を使ってこんなに可愛く変身することができるんだ!


素人の時には、顔に色を塗ったり、線を引いたりするくらいのことしかしていなかったのに、メイクの奥深さを知ったら本当に楽しくなって来たのです。


スポーツでも勉強でもそうですよね。
わからない、できないが続くとずっとつまらない。
TwitterなどのSNSも同じですね。


私はトレーニングすれば楽しくなると言うことを身をもって知り、その後もそれを学生に伝えていきました。(結果スパルタ講師になりました。

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頑張っていると応援者って出てくるもので…

最初は行く研修行く研修、本当に肩身が狭いと言うか、気後れすると言うか…

東京や大阪の研修や勉強会に行けば、有名校のベテランの先生たちもわんさか来ていて、「いい歳して新人なんだ?」みたいに斜に構えてみられているような被害妄想にもなり…(多分思われてた)。

協会内で有名になるくらい努力して勉強して、どの研修にも自腹で参加して、毎週のように新幹線で移動していました。

すると協会のトップの先生が毎回研修の自己紹介の時に、
「まりこ先生は新人だけど、とっても頑張り屋でセンスが良くて一生懸命だから、みんなも教えてあげてね」と言葉を添えてくださるようになりました。

かなりベテランの先生が自分の教材を分けてくださったり、使いやすいアイテムを教えてくださったり、本当に全国の先生に応援して頂いて、可愛がっていただきました(可愛がりとはもちろんいい方のw)。

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美容専門学校の教員になった時のエピソードは、今でもあまり話す機会はないのですが、私の中で人生で一番辛く楽しく激しく、そして夢中だった時期だと思います。

「夢中には勝てない」

夢中は奇跡を起こします。

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