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2024年2月11日(日)"豊かな表現"に勝るもの

編集の仕事をしていると、というか、大人になると、いろんな言葉の表現を覚えてゆく。表現を磨きたいとも、思う。
でも、人と人とのコミュニケーションにおいて、本当に伝えたいことはもっとシンプルなのかもしれない。

このあいだ、長男を叱った。料理中にキッチンに入ってきて危ないことをしたから。
危険なことだからやってはダメ、今は時間がないから入ってこないでほしい、向こうで遊んで待っていて。心に余裕がなくてイライラしていたから、キツい口調だったと思う。
わたしの剣幕に圧倒されて、3歳の長男はその場で泣き崩れた。うえええええええんと泣きながらリビングの端っこにある室内ジャングルジムの一角で小さくなった。

イライラしたまま料理をして「ごはんできたよ」と声をかけると、長男は真っ赤に腫らした目をごしごしこすりながら出てきた。
仲直りだなと思って座って待つと、長男はわたしにぎゅっと抱きついて、言った。「おかあさん、大好き」。

その瞬間、ああ、言葉ってこれがすべてなんだなって思った。

できごとや情景や自分の気持ちを細かく伝えようとして、わかってほしくて、わたしたちはいろんな表現を駆使する。

でも、いちばん伝えたいことって「ありがとう」「ごめんなさい」「大好き」っていう言葉に集約されるんじゃないかな。

わたしのことを想ってくれて「ありがとう」。傷つけてしまって「ごめんなさい」。これからも関係を続けていきたいんだよ、なぜならあなたのことが「大好き」だから。

いつも子どもに大切なことを気づかされる。

いろいろ悩んで、ぐちゃぐちゃ考えて、どうして見失ってしまうんだろう。もっとシンプルでいい。「ありがとう」「ごめんなさい」「大好き」って伝えたら、すべてが解決する。

夫との関わり方がわからなくなって一人思い詰めていたときも、長男に救われたんだった。

夫に何をしてほしいのか、どう伝えるべきなのか。夫の気持ちが見えなくて、反応が返ってくるのが怖くて、好きでいられる自信がなくて、こんなにつらい思いをしてまで会話をする意味はあるんだろうかとさえ思っていた。

子どもたちのことは大切。でも、家族のはじまりは夫婦なわけだから、まずは整理しなくちゃいけないのはわたしと夫のこと。自分の気持ちを優先したら子どもをないがしろにすることになるんだろうか。わたしは、子どもたちを大切にできない、自分のことばかりの無責任な母親なのか。

夜はどうしても思考が内面に向かってしまうから嫌だった。

布団の中で次男の寝息を聞きながら、独り言のように「ねえ、誰かを好きじゃなくなることってあるのかな」と呟いたわたしに、長男は何の背景も事情も知らないはずなのに、即答してくれた。

「りょーちゃんは、おかあさんのこと、ずーっと好きだよ」と。

一瞬、何も言えなくなった。この子は、「僕はおかあさんのことずーっと好き」と言っている。その気持ちは、わたしが誰かを好きとか好きじゃなくなるとかに影響されない。揺るがない「好き」。つまり、愛だ。

「ありがとう。おかあさんも、りょーちゃんのこと、ずーっと大好き」と返事をしながら、涙が止まらなかった。

それ以上何も言えずに、ただ泣きながら震えていたら、長男は「どうしたの?」と小さな手をわたしの背中に回して、「大丈夫だよ、大好きだから」と言ってくれた。

ぐちゃぐちゃだったものがほどけて、あったかいものに包まれてゆく感じがした。ああ、こういう気持ちのほうがずっと大切だ、ってわかる。大切だ、大好きだ、これをわたしは守るべきだって。愛を伝えるのに、豊かな表現なんていらない。

子どもの言葉は、純粋で、絶大なパワーをもっている。

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