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母を亡くしてわかった生きることの意味3つ

母が亡くなってから1年半たつ。
もうそんなに、という思いと、まだ1年半なのか、という感覚と両方ある。
明らかなのは、年末を迎え、昨年末の自分と今の自分が全然違うということだ。昨年末はひどかった。お正月も、ろくに起き上がることができなかった。紅白も観ていないし、お正月の準備も何もしなかったと思う。年末やお正月の記憶がほとんどない。
今年は違う。母がいた時と変わらない、いや、どうかすると、母がいた時以上に前向きで元気な自分がいる。YouTubeも5月から一度も休まず配信し、80本近くになる。12月から新しい会社に再就職もした。そして自分の得意分野である政府関係の仕事をバリバリこなしている。会社のHPにも社員としてブログを書き、年始には公開される予定だ。

私が元気になれたのは、いろいろな方のおかげもある。励ましや共感、またこんな私への期待やご依頼、オファー、それらが私に、次のマイルストンまでがんばろう、という勇気を与えてくれた。そうして、あと少し、もう少しと頑張っているなかで、わかってきたことがある。母が亡くなることでわかった「私が生きることの意味」3つである。

母の死が教えてくれた3つのこと

1.人生を楽しむこと:母が遺したもの

母が遺してくれたものは、計り知れない。家の中のこまごまとした整理から、ちょっとした知恵での工夫。小さいころから作り続けてくれた、おびただしい数の洋服やニット。娘の私と私の娘(孫)の分をあわせると、きっと千を超えるのではないか。そして、晩年好きだったキルト。ふすま一枚分ほどもある大作でも10枚以上あり、主なキルトは本として装丁し、母を知る人にだけ配布することにした。そして、母の製作途中で残った、美しい端切れ、手芸糸、毛糸、ボタンたち。それらを何か活かせないかとも考えて、まだ整理しきれずにいる。
しかし、母が遺した一番のものは、私自身なのだとある時、気づいた。母の娘であるということもそうだが、大好きだった母は私の中に今も存在する。まず、私自身を活用しなければ、と改めて気が付いたのだ。私自身の活用とは、すなわち、元気に前向きに生きること、与えられた人生を全うすることである。それは、母と共に人生を楽しく生きるということでもある。

2.全うに生きること:母の安らかな死に寄り添って

母は本当に眠るように安らかに亡くなった。
生きている間、ずっと私のサポートをし続けて、入院するまで、身の回りのことは全部、自分でしていた。コロナで私がフリーランスの間の1年半ほど、母の好きな食事をつくり、部屋に運んだりしていたが、食欲ある時は大半を平らげ、夜中のトイレも一人でいき、介護らしい介護もほとんどしていない。それまでの長い長い間、私の面倒をみてくれていたというのに、その1割も返し切れていない。
母は忙しい家事の合間を縫って、自分の仕事であるキルト作りや編み物にいそしんでいた。好きなことを楽しんでもいたのだ。
生前から「死ぬときは病院のベッドの上で、あまり暑くならないうちに死にたい。延命はしないで」と何度も言っていた。ホスピスで、少し肌寒いくらいの6月の未明に亡くなり、母の筋書きどおりの最期になった。梅雨曇りだったが、病院から出るときも、お葬式のときも、雨は降らなかった。
母は、きっと人生を全うに生きたのだと思う。だからこそ、あんなに安らかに逝くことができたのだ。

自分も、母のように安らかな死を迎えたい、そのためには、全うに生きなければならない、と臨終の際にも思った。
母はきっと天国にいる。自分もいいことをしていなければ、天国で母に再び会うことができない。
だから、母のように、誰かの役にたち、おかしなことはせず、全うに生きなければならない、と強く思う。
安らかな死で天国にいき、母に「あれからも結構がんばったよ」と報告したい。

そんな風に思うと、死ぬこともこわくなくなった。ちゃんと生きて人生を全うすれば、天国でまた母に会えるのだから。

3.愛するということ

母を亡くし、身体が半分もっていかれたように感じた。悲しいというよりも、さびしくてさびしくて仕方なかった。それは今でもあまり変わらない。
母に喜んでもらうことが、私の生きがいのひとつ、人生の目標だったのに、生きがいをなくし、どこに向かえばいいかわからなくなった時もあった。
でも、同時に、愛する人をなくすということは、こんなにも切なく、さびしいことなのかと「人を愛するということ」が初めてわかったような気もした。
愛するということは、決して楽しいことばかりではなく、ほんとの寂しさや切なさを知ることなのだと、母を亡くして初めて気がついたのだ。私にとって、それはまるで、世の中の色が、風景が、全く変わってしまうくらいの変化だった。
それでも、愛する人がいてよかったと心から思う。だからこそ、強く生きていけるのだから。

母が亡くなったことで、死ぬことがこわくなくなり、人生を全うに生きる勇気をもらい、そして自分の中にいる母とともに人生を楽しもうと決めた。
そうして、今、前向きに大好きなお仕事に取り組んでいる。
まだまだやりたいこともでてきた。やるべきこともちゃんとやる。
人生をまっとうして天国にいけたら、母に報告しよう。その後の私の活躍ぶりを。楽しんだ人生を。
きっとどこかで見ていてくれて「ずっと見てたから知ってるよ」と笑うかもしれないけれど…。


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