だからめいっぱい平気なフリをする

ここ数日noteをサボっていました。

ちょっと思うことがあって、意識的に遠ざけていました。

元来ネガティブ思考のわたしは、文章を書くことで自分の気持ちを整理しながら生きてきたんですが、それこそここに来たらドロドロした気持ちが露呈しちゃうんじゃないかって怖かったんです。

自己犠牲のギバー

わたしは、自己犠牲のギバーです。そこに生きる喜びをずっと見出してきました。

だれかの役に立ちたい。人から感謝されないと生きている意味がない。
いつからかそう思うようになってきました。

いつも第三者からの視線を気にして、どう思われるかどう評価されるか、それだけが自分の物差しでした。

人からの評価の中でしか生きられない。

小学生の頃学級委員をやっていたのも、中学生の頃いじめっ子を救おうとしたのも、高校生の頃母親のために大好きな部活を辞めてこっそりアルバイトをし始めたのもすべて、他人(自分以外の人)から評価されたかったからです。

ウェディングプランナーは天職だった

時間を削って、命を削って、人のために尽くす仕事はわたしにとっての天職でした。

お金をたくさんもらうことよりもずっと、人から感謝されることの方が重要でした。

会社のために利益を上げる!ということは正直がんばれなかったけど、目の前のお客様のために必死でがんばることならできました。

「ありがとう」って言われたかった。

会社から評価される事よりも、お客さまから評価されたかった。

会社とお客さま、どちらも喜ばせる仕事が一番良いことだと今なら分かりますが、その当時はお金を出すお客様が満足さえしてくれればそれでいいと思っていました。

できないことをできると言ってしまう

お客さまを喜ばせたい一心で、できないことをできると言ってしまう。その期待に応えようともがいてもがいて「わたしになんかできっこない」と落ち込んで、できない自分を責めていました。

「わたしにこんな責任の大きな仕事ができるはずがなかった」と泣いて、「わたしには向いていない」と落ち込んで。

まあ、すぐに立ち直ってなんとかするんですけど、結局常に自信のない自分をどうやって抑え込むかって戦っていた気がします。

困っている人がいるとほおっておけない

道に迷っている人がいると声をかけたくなるし、泣いている人がいたら背中をさすりに行きたくなる。いわゆるおせっかいおばさん。その内電車の中で咳をしてる人がいたら飴ちゃんとか渡しかねない。

そういえば最近、所属しているコミュニティで「だれに話しかけていいのかわからない」と相談を受けて「いつでも気軽に声をかけてね」って全体に発信したら、なぜか営業活動してるって思われて怒られたりしました。

わたしの仕事は「相談聞き屋」じゃないんだけど、なぜ営業活動してると思われたのかは今でも謎です。

とにかく人の役に立ちたい。そうしないと立っていられない性分なんです。

でも人の役に立てるような自分じゃないという自己評価もあります。だから常にその葛藤と闘っています。

自信がある自分を演じている

自信なんてないですいつだって。

だからずっとじぶんで学び行動してきました。

自信がない自分を隠すように、必死でもがいてなんとかしてきました。

毎日「わたしには無理だ…」と泣いてしまいそうな気持と闘いながら、なんとか踏ん張って、大丈夫なふりをして生きています。

でもそんな人、けっこうたくさんいるんじゃないかなと思っています。

迷いは行動することでしか晴れなくて、行動してたって迷うことなんかたくさんあって、行動しても行動しても自信のない自分が0になんてならない。

正解を求めるから苦しいのだけど、わたしの場合は自分の中に正解がなくて、いつも他人の中に評価の軸があるから余計に苦しいのだと思います。

嫌がられること、煙たがられることはしたくない。

だれにとってもいい人でありたい。そんなことは無理だと分かっているのに、そう思われる方法を模索しています。

自信があるように見せて、わたしとはこんな人間です。

ここ数日、余計に元気なじぶんを勝手に演じていたせいで、少し息切れしているようです。

弱い自分も認めつつ、やはりお客様や大切な人のお役に立てるよう今日も自己犠牲のギバーは奮闘します。

いつか他者志向型の立派なギバーになれることを夢見て。

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