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お年玉のざわざわ

お年玉と聞くとわくわくした感情からざわざわした感情に変わったのは、高校の頃だったのか、大学初めの頃だったのか記憶が曖昧。

小さい頃からずっと母親に預けていたお年玉、
なぜか1円も使わず律儀に貯金していた。

小さい頃、なぜか欲しい物を親に聞かれても、特にないと答えていたのを覚えてる。
なんでだろう。なんで何も欲しくなかったのだろう、何故かはわからないけど、小学校くらいの頃、確かに欲しい物はないと思っていたのは確実に覚えてる。
今じゃ、欲しい物は腐るほどある。   


小さい頃、お正月になって親戚が集まったり、親戚に挨拶にでかけたりして、お年玉をもらうのが大好きだった。
だけど、なぜだかすぐに使ったことはなくて
母親に全部預けていた。毎年沢山もらったから、いくらになっているかは計算してなかったけれと、お正月にしか会えない父方のおばあちゃんや親戚のおばさんが一万円札を何枚か入れてくれることもあって、それなりに貯まっていると思うと嬉しかった。いつか自分で使う事を考えたらわくわくした。

そういえば、ずっと預けていた私のお年玉ってどうなってるんだろう、ふとそんな事を思い出して、私のお年玉は?と母親に聞いたら

高い学費で全部使ったと当たり前のように告げられた。
え??
今なんて言った!?

心の中でそう思ったけど、言葉にはだせず

ごめんね、悪かったみたいなニュアンスもなく、それが当たりだみたいな口ぶりに、
びっくりしたのと、ショックなのと、
一瞬にしていろんな感情が湧き上がって、でも次の瞬間自動的にこう思った
「母もきっと大変だったんだ、学校にも通わせてもらってるし、学校の行事で海外に行く体験もはせてもらったり、、、、、だから、怒ることは間違いだ、仕方ない」

え、そうなの? 
確かその一言くらい口にして、感情は飲み込んでしまっておいた。

それから、お年玉って聞くと、悲しいようなざわざわした気持ちをいつも感じていた。

全部とは言わなくても、少しでも自分で好きに使いたかったな。それくらいの感情しか自分に感じるのを許してなかった。


それから30年くらい過ぎて
息子がお年玉を貰うようになっても 
相変わらず お年玉と聞くとざわざわする

感情を感じるメソッドに出会い、
やっと過去の感情を感じる事を許しはじめたら、

他の人の似た話を聞いて、
自分もそうだったと、お年玉のことも思い出した。

私が貯めていた感情

黙って勝手に使っただと!?
黙って使うな
人に黙って勝手に決めるな
馬鹿にするな
ふざけるな
謝れ
私に決めさせろ
私の好きにさせろ


この感情は他の場面でも
幾度となくイヤというほど再現されて
幾度となく嫌な思いを感じてきた
この感情にいつも振り回されてきた
特に結婚してからが酷かった


まさかその根っこが
お年玉の感情だったなんて

今はまず、身体の中で貯めて貯めて貯めて
行き場を失っていた怒りを出してあげることからはじめてみる

ごめんね、私の大切な感情
ずっと押し込めていて

やっと出してあげるよ
出てきていいよ





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