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#48、明兆

室町時代の画僧。字は吉山(きちざん)。別号は破草鞋(はそうあい)。淡路島生まれ。東福寺に住して殿司となったので、世に兆殿司(ちょうでんす)と称。宗・元の画風を学び、仏画や頂相(ちんぞう)を描いた。東福寺には五百羅漢図・涅槃図など、今も作品が多く残る。(1352-1431)

広辞苑第五版

水墨画だって、デフォルメと緻密があるはず。明兆は緻密寄りだった。きゃふんの犬みたいな可愛らしさよりも仏像の荘厳さの方が勝る。

絵や句や手紙でさえ、当時は選ばれたひとしか書き記すことが難しかっただろう。教育を受けることができなかった子どもたち。それが大きくなった丁稚。職人として文学を知らずに生きる道しか知らないひと。

選択肢がかなり狭かっただろう昭和以前。なぜ、家を継ぐことを是としていたのか私にはわからないけど、一種の信仰に値するものなのかもしれないと思う。

絵を描いたり文章を書くのは、今は選ばれる必要はない。自由に書き散らし、まとめたいならまとめればいいだけのことだ。
しかしインターネットの中の、己の手の届く狭い世界。ここで心無い言葉や行動に悲しまされて筆を折る人はいる。
仏を描きそれを信仰し、自らの心を鎮める手法が必要な人が今は多いと考えている。

アニョハセヨ〜

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