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夏の砂の上

ずーっと楽しみに待っていた舞台。
ようやくわたしも観ることができました。

作者の松田正隆さんの舞台は、彼が京都で「時空劇場」という劇団をされていた頃に何度か観に行ったことがあって、「夏の砂の上」の戯曲に収録されている「蝶のやうな私の郷愁」は、わたしは時空版を観ているんです。

そんなわけで、今回のnoteは「作品評」と「圭くんについて」の二本立てで書こうと思います。

松田正隆の描く世界

松田さんの芝居はとにかく起伏がなくて、正直言ってわたしは普段好んでこのタイプの舞台を観ることはありません。
演劇界における、いわゆる「静かな演劇」というムーブメントに属するとかしないとか、松田さんの作風についてはいろんな解釈がありますね。

物語を振り返って言葉に表すと、「ひとりの孤独な男の周りに吹いた一筋の風」。
いや、タイトルに因んだら「渇いた男の心に落とされた一滴の水」。
という感じなのでしょうか。

渇ききった熱い砂の上に静かに落ちる水滴

小浦治は自分にも周りにも何にも興味はなく、ただただ無為に日々を過ごしている。

彼がそうなってしまったきっかけは、一人息子の明雄の死で、同じくその死を乗り越えられなかった妻の恵子は家を出て行ってしまった。

治はそれでも何にも思うことはなく、そればかりか仕事をなくしても、やっぱり何にもしようとしない。

そんな無気力な治のもとにやってきた姪の優子は、言いようのない孤独に苛まれている少女で、彼女もまた無為なものを心に抱えつつ、誰かからの愛情を掴み取ろうともがいていた。

そんな治と優子は「孤独」というキーワードで惹かれあったのだろう。
作品ではそれを象徴的に「渇き」として表現している。
ふたりはどちらも自分の身の内に自分ではどうにもできないものを抱えていて、表出の仕方はそれぞれ違うけれど、でも治と優子は少しずつ同調していく。

その最高潮がふたりで雨の水を分けて飲むシーン。
ここが「渇き」の対極である、「潤い」の場面。
心からの笑顔で「うまか」「おいしい」と水を貪り飲むふたりは、あの瞬間はひとつになれたけど、やっぱりあっという間に別々になってしまう。

熱い夏の砂の上に、ぱたりぱたりと落とされた水があっという間に砂に吸い込まれていくように、ふたりの日常はまた無為なものに戻ってしまったけれど、たしかに心が繋がったあの時間は、ふたりに残された唯一の救いになっていくのだろう。

息子のことも、妻のことも、何もわからなくなった治にとって、優子が残していった麦わら帽子の白さだけが真実で、暑い夏、陽炎のように過ごした日々が残像のように生き続けていくはずだ。

小浦治を生きた田中圭

小浦治という、とにかく無気力な男を演じる圭くんは、今回は「声」をキーワードにしてその人間像を表現していたように思います。

他の役者とはっきりと区別される、ボソボソとハリのない、ゆっくりとした話し方。
あの表現が治そのものだなぁと思いました。
「え?」「うん」「なんね」という返事とも相槌ともいえない言葉たちは、ぼそりぼそりと話されているのにきちんと観客の耳に届くのが本当にすごい!

他の役者さんたちは、いわゆる「張った」声でポンポンとテンポ良く話すのに、治と優子だけボソボソトーンなのは栗山さんの演出なんでしょうね。
圭くんの声がよく聞こえるのは本当に不思議だけど、やっぱりのどが強いのかな。
きちんと声が出ているから届くんだと思いました。

山田杏奈ちゃんは、ハッキリとしたわかりやすい声の持ち主で、彼女の素晴らしさはたくさんの方が書いていたので繰り返しませんが、これからもいろんな芝居に出て欲しいな、と思いました。

オタク的視点でもそりゃあ観てますよ❤️

さて、我らが圭くんは冒頭からタンクトップで登場。
二の腕を惜しげもなく披露してくれて、思わず声が出そうになりました💕
いや、あの瞬間息を飲まなかったタナカーはいないはずです!(断言😤)

そんなわけで、変態目線炸裂のわたしの萌えポイントを挙げてみます!

①盛り上がった腕の筋肉
 【圭くん以外の筋肉には興味ないです】
②裸足の足首や足の指
 【指ね!もう色気が親指の形をしてました!】
③薄いズボンから想像できる膝っこぞう
 【やらしいです、はい、ずっと見てました】
④黒いスラックスに乗せられた白くて大きな手
 【ここいちばん大切!テストに出ます】
⑤遠くからでも分かるアシンメトリーな両方の瞳 
 【わたしは双眼鏡使わない派ですが、それでもハッキリ分かりましたよ】

いやこれもうキリないんでこのへんにしときますw
こんなに静かな芝居なのに、わたしの中は大騒ぎで収拾がつかず、もう終始大変なことになっていました!
38歳田中圭の色気が炸裂していました❣️

そして「役者・田中圭」

これもたぶん皆さん書いてると思うのですが、今回の舞台は圭くんの「受けの芝居」の真骨頂でした。

奥さんも、妹も、同僚たちも、その奥さんも、優子も、その彼氏も、みんなの芝居を受けて受けて受け続ける圭くんの芝居は、それこそ砂に水が沁みていく様そのものでした。

そして、受けて受けて受け続けた圭くんからは、他の誰にもないとてつもないものが溢れ出ていたと思います。
あぁ、これが主演を張る人の存在感なんだな。
あんなに動かないのに、こんなにあらゆるものを削ぎ落としているのに、あんなにしょぼくれているのに。
そこをきちんと表現しながらも、圧倒的なものを持っている役者。
それが田中圭だったとわたしは思います。

バラエティ番組に出ている圭くんのことしか知らない人たちに、治を生きる圭くんを見て驚いてほしい。
「田中圭」にはあれやこれやさせないともったいないと思っているギョーカイの人たちに、こんなに何もしない田中圭のその存在感を観て度肝を抜かれてほしい。

小浦治を演じる役者田中圭には、心からそう思わせる説得力がありました。

スイッチのオンとオフ

物語のラスト、優子の帽子を抱えていた治が、そっとちゃぶ台の上にその帽子を置いた瞬間、小浦治から田中圭に戻ります。
今回の舞台はそんなスイッチが切り替わる瞬間も見られて、栗山さんたら、粋な演出してくれたなぁ✨と思いました。

東京千穐楽。
鳴り止まない拍手にちょっと照れたような笑顔を浮かべる彼の人間性が、わたしはとても好きだなぁと思いました。
ちょっと気が早いですが、次の舞台ではどんな役を生きてくれるのか、本当に楽しみです♫

兵庫公演追記

兵庫はなんと2列目!
目の前に治おじちゃんがいる人生初の神席でした✨✨
東京で俯瞰的に観ていた時は、圭くんの存在感に、その醸し出すオーラにおののいたわたしでしたが、兵庫では目の前に居たのは紛れもなく、くたびれた中年男の小浦治でした。
佇まいや話し方のみならず、息づかいや目線、震えまで含めた表情、それらすべてが治以外の何者でもありませんでした。

これはどういうマジックなんだろうと思います🤔
離れて俯瞰的に観れば、小さなちゃぶ台を舞台に繰り広げられる芝居合戦に、その存在感で一人勝ちしている役者田中圭がいる。
近づいて物語の世界に入り込めば、暑い暑い長崎の坂の街に暮らす人々の悲哀と、気怠くやるせない空気をタバコの煙として吐き出す小浦治が目の前に現れた。

「役者」が醸し出す空気感というのはひとつではないのだな、としみじみ感じた時間でした。

あとね、間近で見る圭くんはたまらなくかっこよかったです💕💕💕

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