紅白歌合戦2020の星野源

このことについてはありとあらゆる人が書いてると思うのだけど、わたしも一応2003年から源ちゃんを応援している身として書いておきたいし、これを2021年、noteを始めるスタートラインにしたいと思っている。

まず衣装のことを。
ピンクの上着、バンドは全員真っ黒。
源ちゃんも、ボトムスは黒だった。ピンクだけが映える演出。
ピンクで出てきた時に、去年「紅白とかいうけど、どっちでもいいよね。だいたいおげんさんだって(性別は)どっちなのかわかんないし」と(みたいなことを)言ってたのを思い出して、「今年もちゃんとやるんだ」って、当たり前のことを当たり前にしている彼に感動した。

ものすごい社会現象になった「うちで踊ろう」は、これくらいのこと(無料公開で、誰でもコラボ可。だけどみんなにシェアしてねというスタンス)は、星野源はやる人だってわかっていたから、わたしは世間の驚きほどではなかった。
それより反響のすごさには目を見張ったし、これは源ちゃん自身も驚いてる感じが伝わってきていた。
だから、「うちで踊ろう」が紅白の曲になったこと自体は「やはり」くらいのことだったけど、それよりもリリースした(有料配信)わけでもない曲で紅白っていいの⁈と思っていたら、インスタストーリーで同じこと言ってる人を源ちゃん自身が紹介していたから、「これは絶対なんかあるな」と楽しみにしていた。

2020年最後のANNが12月29日にオンエアされて、そのラストに「来年は良い年に、とか言うけど、来年も多分大変なのは変わらない」とハッキリキッパリ話していて、耳障りのいい言葉で今年を締め括ることをしなかった源ちゃんをまたリスペクトしていたんだけど、これは紅白のプロローグだったんだなと今なら思える。

さて本題。(ようやく)
紅白で「うちで踊ろう」の2番を歌い始めたとき、実は耳を疑った。
「え⁈あざけりっていった⁈」って。
そんな戸惑いを放ったらかして、歌はどんどん進んでいった。
そしてわたしは、「飯を作ろう ひとりつくろう 風呂を磨いて ただ浸かろう」のところでぶわっと涙腺が崩壊したのがわかった。
だって、それがわたしの日常だったから。
ああ、この人はいつでも側にいようとしてくれるし、側にいてくれるからこそ「このままでいい」と言える人なんだな、と思って涙が止まらなかった。

「おげんさんといっしょ」が始まった時、「世間の星野源イメージとか知らん」みたいな普通の顔して女装して、男性を女性に、女性を男性にキャスティングして、そのわりにそこにはほとんど触れずに番組を終えたのを見て、わたしはものすごいメッセージを受け取った気がした。
あそこから(いや、本当はもっと前からかもしれないけど、わたしはおげんさんを見たときに確信した。)源ちゃんのメッセージはたったひとつだったと思っている。

「フィジカル的ではひとりでも、自分の中では愛する人の側に。」
「愛する」相手は、リアルでもフィクションでも、人であってもそうでなくても、3Dでも2Dでも、ホントの家族でもそうでなくても、男でも女でもそのどちらでもなくても。

このメッセージほどわたしにとって強いものはなかった。
「Family Song」もそう。(あ、おげんさんの前にファミリーソングだったか?それとも同時期だったか?)
星野源という人は世界を、今見えてるものからほんの少し(5度くらい)広げてくれる。
広がったところから見える景色を教えてくれる。
違う景色に気づいたら、それをもっと見るかどうかは自分で決めてねって、そういうスタンス。
紅白歌合戦2020の「うちで踊ろう(大晦日)」も、まったく同じメッセージだった。
源ちゃんは、「ひとりでも大丈夫。愛する人をいつも思って、そして生きて。」
彼が言ってるのはこのたったひとつのメッセージ。

わたしは星野源を知っていて本当に良かった。

追記・そういえば、一瞬だけ映った円形ステージを真上から映したカットは、SAKEROCKの解散ライブを思い出して、それも泣きそうになったのでした。

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