稽古場の真ん中で。

こんにちは!
今日は
初めて、主役を演じた6年生の頃について、
お話したいと思います。

あらやだ若い。

せりふの音。

6年生の頃、
同期の仲間は中学受験が忙しく、
ほとんど稽古にいませんでした。
その年の夏の舞台に出たのも、たった4人。

今思うと、きっと先生は
普段の週1のレッスンに真剣に通ってたから
私を起用してくれたんだろなと思います。

それでも、嬉しいものは嬉しくて、
エンドロールで1番に名前が出てくる。
せりふも人1倍あって、
ソロの歌もある。

必死でした。

しかし、ある日、一通り稽古をした後、
ダメ出し(今のお芝居の改善点を先生に言っていただくタイミング)の時
演出の先生に言われました。

おい柴田、台本持って舞台でろ。

...え?1人で...? そう思いました。
劇団員が見ている中で、
小学校1年生から、高校3年生まで約100人近くの視線が自分に向いています。

このシーンの自分のせりふ。
相手役とか気にしないで全部読んでみろ。

言われるがままに、半ば泣きそうになりながら読みました。
一通り終えると、先生は、


お前はな、せりふの最初の音が全部おなじなんだよ。
全く面白くねぇ。
お前はただ台本に書いてあることを読んでるだけだ。

きつかったです。
まだ6年生の私には、どうしたらもいいか分からず
ただ家に帰って泣くことしか出来ませんでした。

救世主

それからも解決策は見つからず、稽古はすぎていきました。
主役だったこともあり、
稽古は朝の10時から夜の8時。
一日中NHKのスタジオに缶詰め。

初めて感じるプレッシャーからか、
ご飯が喉を通らなくなっていました。
このまま本番まで迎えるのかなぁ。。
ただただしんどくて、辛くて

役が決まった時は
こんな事になるなんて微塵も思わなかった。
心のどこかで、自分なら行ける。
という謎の自信があったんです。
自信持てるほどの何かがある訳でもないのに。

助けてくれたのは、幼馴染み役の3つ上の先輩でした。

色々言われて、パンクしてると思うけど、
茉莉は、茉莉が思ったように
1回頭空っぽにして、舞台に立ってみな。

行き詰まったら休憩だよ。

そう言って、背中をとんとんってしてくれました。

どれだけ救われたか。
その日、初めてあたしは、
帰りの電車で台本を開くことをやめ、
家に帰ってからもご飯を食べてすぐに目を閉じ、
とってもぐっすり眠れた事を今でも鮮明に覚えています。

最高の言葉。

先輩の言葉に救われ、
なんとか稽古を乗りきりました。
あとは本番。
ひと夏かけて必死に生きてきたこの役を
見せるだけ。

本番直前の袖。
またもプレッシャーに押しつぶされそうになった私は
今にも倒れそうで、戻しそうで
どうしようもない感覚に襲われていました。

そこに駆けつけてくれた
高校2年生のお姉さん。
ぎゅってしながら、

茉莉なら大丈夫。
今までほんとに一生懸命やったよ。
あとは楽しんでリラを生きてあげるだけだよ。

本番前なのに、安心からか号泣。
厳しいことを言いながらも、
ずっと側で見守っていてくれた兄も、
私が、舞台に出ていくまでずっと側に居てくれました。

それからのことははっきり覚えてません。
ただただ、夢中に必死に
わからないけど、
少しは大鳥リラとして生きられたのではないかと
思っています。

ただ、本番が終わってからはっきりと覚えていることは

よくやった。

演出の先生がそう言ってくれた事。
普段褒めることの少ない先生。
とっても厳しい先生。
最高の言葉をいただけたと思いました。

私が演じた大鳥リラ。
特に小さい子の心に、印象が強いみたいで、
あたしが高校生になってから
一緒に高校生グループ(高校1年生から3年生)をやった後輩に

しばまりはリラの時からかっこいいなって思ってた。

年近いのに、すごいなって思ってる。

て言われたことがあります。


私にとって大鳥リラという子は、
芝居に対する本気度のようなものを
確実にアップさせた子で
もし、あの時
リラじゃなかったら、
今、お芝居をしていないかもしれない。
そのくらい大切な子です。

あの時の、
悔しさやプレッシャーが
確実に今の柴田茉莉の肥やしになっていることは
確実です。

リラに出会わせてくださった
脚本の森忠明先生、
演出の竹内照夫先生。
本当に有難うございました。

ちなみに、森先生はたまにお会いすると
未だにリラちゃんって呼んできます笑

怒涛の6年生はこんな感じです。
改めて思い返してみると、
すごい1年だったなぁと思います。( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン
おつぎは、
中学時代まとめてお話しちゃおうと思います!!

次回の更新は
12日!!
読んでくださった皆様!有難うございました!!

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