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コンパクトはインパクト

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今日は壁画制作の合間に、島のおじいちゃん、おばあちゃんたちが制作現場を見に来てくれた。
うちお二人はK夫妻。K氏は、近年の人口減少や島の存続について、以前から危機感を募らせていたそう。今回私のような、完全に「よそ者」であり、「若者(としておく)」であり、「アーティスト」という異分子は、島に一石を投じる存在として、有難いことに歓迎してくださっている。お話によると、嫁いで島に移住するのと、単純によそ者が移住するのとでは、女性の立場上も割とニュアンスが変わってくるという。皆さんとお話する中で、アーティストという生き物はいろんな利害関係に無頓着な習性があるので、村社会のしがらみといったものにも縛られずに過ごしやすいんじゃないか、という考察に至った。少なくとも、空気を読みすぎない、という傾向はあるかもしれない。その空気、特に昭和というジェンダー的に封建的な時代を生きてこられた女性たちにとっては、何かしらの圧力を感じる場面も色々あったのではなかろうか…と想像しながら相槌を打っていた。

また制作していた壁画を見て、驚きの声と明るい感想をいただき、「この絵はどういう意味なのか」、「なぜ大島に来ようと思ったのか」など、興味津々の眼差しを浴びて質問攻めに遭った。
これは、よく考えたら素晴らしいことだと思う。
大島にとって、それまで私のような若手の現代アーティストが腰を据えて作品制作をする、巨大な壁画というアートが誕生する、という機会が恐らく初めてであるがゆえに、「能動的にアートに関心を持ち、知ろうとする」姿勢が、島の方々に自然に芽生えているからだ。アートに限ったことではないが、人が何かに強く関心をもったり、興味を惹かれたりするときは、「自分ごと」と感じる時が多くはないだろうか。自分に関わりがあるからこそ、それが一体なんであるか、理解したいという意欲が湧く。
そういう意味で、島の皆さんは「鑑賞者」としての吸収力がかなり強いと感じる。
なぜなら、その作品を描いている私が、先述のとおり「よそ者」であり、「若者」であり、「アーティスト」という移住者だからだ。またその作品が、能動的にやってきた新参者が生み出すアートだからだ。
そのアートがもし何らかの形で島の発展に影響を与えるとしたら。
既存の価値観や風習に変化をもたらし、新たな島のあり方が見えてくるとしたら。
そんな「島ごと」を「自分ごと」として捉え、より積極的に作品を見てくださっているのでは、と勝手ながら考えている。

京都にいた時は、あまりそれは感じなかったことなので、面白い。
文化都市を誇るだけあって、一年中、大小様々な美術館やギャラリーで展覧会が催されているが、「自分ごと」として鑑賞する地元民は、果たしてどれだけいるだろうか。
「ゴッホ展」なんかがあれば「たしなみとして」見に行く人々が大挙して押し寄せるが、この若手アーティストが自分にとって関わりがあるし興味がある、といって制作現場まで訪ねる人が、果たしてどれだけいるだろう。文化都市という恵まれた環境だからこそ、作品もアーティストも数多に存在する。ある意味飽和している、といってもいいかもしれない。そんな中、自分ごとに感じる作品やアーティストを見つけ出すのは、よっぽどの機会がないと実は難しいのではないか。
そうした観点で見ると、やはり私はアーティストとして大島に移住してよかったなと思う。
コンパクトな島は、アート・インパクトが強い。そこに今後の可能性をひしひしと感じる、今日この頃である。

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