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小春日和の爪痕

10月24日(月)、夜中雨が降ったからか、昨日よりやや肌寒いような、朝。
近頃、生来の夜型がひどくなり、昼夜逆転しかけている。これから寒くなるし、活動時間帯を極力日の出ている間に合わせたい。少しでも朝型に近づけるため、昨晩はいつもより早めに就寝したのだが、体内時計が合わないためかなかなか寝付けず、夜中の雨音の中をうつらうつらしていると、朝がきたのだった。

ここで二度寝せずに済んだのは、午前中に一件オンラインミーティングがあったからだ。
コーヒーを淹れ、フランスパンをひとかけら。島のママさんにいただいた、お手製のさつまいもジャムを塗って食べる。ああ、とてもおいしい。

太陽が顔を出すとだんだん心地よい小春日和となり、二階のベランダに向かう。
小高い坂の上、南東に面したベランダで、洗濯物を干しながら港を眺める。
柔らかい秋の日差しを浴びて、細やかな黄金色の斑点が、海を覆っていた。
こんな毎日が、なんだか奇跡のように思える。一年前、京都で過ごしていた自分には想像もつかなかった非日常が、すっかり日常となっている。ただ、京都にいても大島にいても、よく晴れた日に洗濯物を干すのが大好きだ。
それはどこに行っても変わらないだろうな。

ミーティングを終えてしばしKとオンラインチャット。
気がつけば昼過ぎとなり、今日はumibaでタコライス販売の日ということで、腹の虫を鳴らしながら向かった。

すると、なんと売り切れていた。昨日から楽しみにしていただけあって、正直とても残念だったが、仕方ない。今度は予約しておこう。
気を取り直して、MUSUBI CAFEさんに向かい、久々に漁師サンドと甘夏シェイクを注文。トートバッグには、財布とiPhone、そしてあるものを忍ばせていた。

テイクアウトしたランチを海岸沿いのベンチに腰掛けて食べる。
今日は凪、引き潮で、海岸がいつもより静けさを帯びていた。
平日にこんな風に海をぼんやりと眺めながら、おいしいランチが食べられるなんて、なんて贅沢なんだろう...とほのぼのと過ごす。そこに、にわかに違和感が。この海岸沿いでこんなに穏やかにご飯が食べられるのは、なにかひっかかる。

そうか、猫がいない......。

いつもこの海岸沿いには野良猫というか島猫がたむろしており、以前noteでも書いたとおり、そこで何か食べようものなら、どこからともなくやってきて、おこぼれをせがむのである。そうか、いないのか。

トートバッグに忍ばせたジップロック詰めのキャットフード、どうしようかな、と考えた。
以前、「島猫に安易に餌をやるのはいかがなものかな」と自制していたのに、もうこの有り様である。最近、時々自宅付近に猫たちが遊びに来ることがあり、かつおぶしをやったり、一緒に遊んだりしているうちに、すっかり虜になってしまった。
そして気がつけばオンラインショップで猫用のドライフードをポチっており、今日届いたのだ。
道端の不可解な物を食べたりするくらいだし、おやつ程度にやるくらいならばよかろう、という身勝手な判断をして、早速今日散歩するときにでもやろうと、少しばかりジップロックに入れてきた。

しかし肝心な猫がいないとなると、また今度にするかな......と帰ろうした時、海岸端の波止場あたりに、観光に来た女子大生と思しき3人組がキャッキャッとなにかにスマホを向けていた。
あ、猫だ。
1匹、ポツンと佇んでいるではないか。
寡黙に、姿勢を崩さず目を細めて海を眺める姿に、「考える猫」という哲学者を見てしまうのは人間のエゴで、多分何も考えていないんじゃないか。そこがいい、と思うのもエゴかな。まぁいいや。

とりあえず私は、このキャットフードへの猫の関心を見てみたい、という好奇心に駆られるまま、その猫に近づいて行った。女子一行は波止場の遠くへ行ってしまった。

まずは、にゃ〜と挨拶してみる。反応は鈍い。
以前この場所で猫の朝会に参加したときは、割とどの猫も人懐っこい反応だったが、この猫は人間のことを、なかば許し、なかば諦め、なかば警戒している、といったような態度を保っていた。

なんとなく相性のそぐわなさを感じながらも、ごはんくらい食べたら、とちょこっとキャットフードをあげてみた。

余程腹を空かせていたのか、すぐさま飛びついた。
風邪を引いて鼻が利かないのか、目の前にまだ粒が残っているのに、不器用に探せないでいる。
仕方がないので、「ほら、ここやで」と指で示してやったその瞬間、あっ......!
目に見えない速さで鋭利な爪が私の右手を引っ掻いたのだ。
ごはんが盗られると思って怒ったのか......せやけど、そない怒らんかて。
とぶつぶつ思ったが、猫の爪に潜んでいるであろう、何万というバイ菌が今にも自分の血液に乗って体内を駆け巡ろうとしているところを想像し、青ざめた。

あ、こらあかん。

即座にその場を立ち去り、MUSUBI CAFEさんを再訪し、事情を説明して手を洗わせていただいた。除菌もして、お礼し、家路を急いだ。幸い、傷は浅い。しかし、若干血が滲んでいるのが気になった。ネットで検索したら様々な症例が出てきて、不安を一層掻き立てた。

私は何かにすがりたくて、帰路の途中、仲良しのおじいちゃんUさんのところに立ち寄って、猫にひっかかれたことを報告した。内心、「そんなん大丈夫じゃ」という長老の経験則的見解を欲していたのだが、意に反して「あ〜そらもう身体に入っとるわ」という無慈悲な返答に、絶望して家路を進んだ。

諦めの悪い私は、さらにもう一人、道中に別の長老を訪ねた。
こちらもいつも仲良くしてくれるおばあちゃんKさんである。

ここでも経験則的見解を期待したが、「猫に引っかかれたことはないけんわからん」という、引っかかれた自分のドジさをさらに噛み締めることになった。

最終的に、「アロエの内液を傷口に塗って、絆創膏を貼る」という処方に達した。
アロエを塗りながら、Kさんの大島物語を聞くのがとても楽しい。Kさんは、ゴミを捨てないのだという。生ゴミは全て自作の畑の肥料にするし、家庭ゴミもわずかで、畑の端で燃やしてしまうのだとか。なんというエコフレンドリーさだろう。感動を告げると、何食わぬ顔で、「それがふつうやけん」とおっしゃる。かっこいいなあ。
虫に刺されたときには、あの草を塗ると効く、とか。こういう場合は虫は攻撃してこないけど、ああいう場合は攻撃してくるから気をつけた方がいい、など。
おばあちゃんの知恵袋って、Kさんのような方をいうんだな、と感じ入ってしまう。

大島に来てから、お年寄りの方とこうして日常的にお話することが多くなった。
そういうのも含めて、これまでの人生からすると、非日常的だったことが日常になってきている。移住して5ヶ月ほど。変化を楽しむから味わう余裕が、近頃は増えてきたなと感じる。

島の皆さんは、親切で優しい方ばかりだ。でも、お節介というのとは、ちょっと違う。
そうか、今日の私の、島猫へ差し伸べたあの右手は、お節介だったか。

人間だろうと猫だろうと、お節介は焼くもんじゃなか。
と、爪痕が諭してくる、そんな小春日和であった。


2022年10月24日
井口真理子


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