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私という夢から目覚めたあと

前回、個の私はいないと書きました。


全体性としてのワンネス。もともと外はないのですよね。


でも、心は自我の働きによって外をつくりだし、そこを指し示すために言葉を使うことになる。逆に言うと、言葉をもつことによって、私の外に世界があるようにみえる。


同時に、身体をもつ私たちは身体を通して感じたり感覚したりするので、個としての私、分離感はとてもリアルです。


自我を取り除こうとしても、これは逆効果でうまくいきません。


ある意味、自我との格闘をあきらめたときに、非個人的な自己が、その真の性質、つまり、存在する全てに共通する生命の本質を見せてくれるようになる。


すべてが1つであることがはっきりしてくると、個の私が存在するという感覚は真の自己の活動のひとつでしかありえなくなってきます。


そこは創造性の源などと言われるところでもあると思うのですが、これまで思考や感情などで一杯になっていたところにスペースができることで、心境の変化といいますか、なんとなく新しいことを始めたくなるような、身体を動かしたくなるような気分が起きてくるかもしれません。


この視点に立つとき、新たな思いがわいてくるかもしれません。何を演じようか、どんな夢を見ようか、何をつくろうか、というような。


そこはこれまであった深刻さが少なくなっていて、ある種の気楽さが増えている感じでしょうか。


夢だと知りつつ夢を楽しむ。

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