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幼少期に主観的なものと客観的なものが逆転する話 それに対してACRができること

これは、私たちがこの世に生まれてから、大人になるまでの成長過程に関連する話です。

乳児の生きている世界は、直接経験することがすべてです。たとえば、目の前にあるお母さんのおっぱい。次に、子どもになると、一次的・根源的世界のほかに、二次的に形成された世界像が出てきます。小学校にあがった子どもにとっての直接経験が、たとえば、昼休み時間のドッヂボール遊びだとすると、彼は、その向こうに学校があって、自分の家があることも知っています。それらは、今ここでの直接経験(ドッヂボールの経験)とは別の、二次的な世界像です。二次的な世界像の特徴は、経験の蓄積による時間的な形成物として存在することにあります。これらの蓄積(記憶)とともに、私たちは大人になっていきます。

子どもから大人になると、二次的な世界像が、さらに拡大していきます。たとえば、私は2020年、日本の〇〇に住んで、〇〇の職業について、性別は〇〇で、家族は〇〇で、趣味は〇〇で・・・というふうに。これらはすべて私の一次的な世界像ではなく、客観的な、二次的な世界像です。すなわち、これらは私の直接の経験そのものではありません。でもこれが私だ、と自分で頭で考えているものです。

ここで気がつくのは、子どもから大人へ成長する過程において、これが自分だと私たちが思うよりどころとなるものが、一次的な世界から、二次的な世界へ、逆転するということです。

自分が何者であるかを定義づけるときに、乳児期にその大半を占めていた実存的世界(主観・客観に分かれる前の、今ここにあるという状態)から、客観的世界(みんながみている世界)を参照するようになります。この変化があるから、私たちは社会的に生きていけるわけですが、成長のプロセスにおいて、私たちの多くは、自分にとって大切なやり方や、自分が生まれながらに持っている独自性、ユニークさといったものをそいでしまう、捨ててしまう傾向にあります。社会に適合するために。

わたしは、それら自分本来のもの、自分の分身みたいなものに対して、星屑のイメージがあるのですが、そのこぼれ落ちた星屑たちにもう一度出会うセッティングが、現象学的還元の考え方を応用したセラピーにあると考えています。現象学的還元には、経験を再構成するという方法論があります。

セラピーでは、直接経験の世界にたち戻って、単なる過去の記述ではなく、どのようにして今の自分の二次的な世界が形成されていったのかについてみていきます。自分のことだからわかる。そういう経験です。



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