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「ゴードン・マッタ=クラーク展」と「建築の日本展」;建築と都市をめぐる二つの視点 Part 2

国立近代美術館の「ゴードン・マッタ=クラーク展」は、このために東京まで足を運んだ甲斐があったと思わせた。キューレーションが素晴らしかった。夭逝したマッタ=クラークの活動期間は短かったが、その作品は種々様々、多岐にわたる。それがちょうど良いバランスで、ちょうど良い数だけ展示されている。なので見通しが良い。空間的な余裕が精神的な余裕を生む。一つ一つの作品の周辺に気前よく与えられた余白が、見る者の中に生まれた感動や疑問を咀嚼し消化することを許す。解説文も見事であった。必要な情報が簡潔にまとめてある。マッタ=クラークが活躍した時代と社会の背景、他の地域で同時に起こっていた美術運動にも言及がある。日本語はもちろん、英文もこなれて美しい。学芸員の経験の豊かさ、質の高さに感じ入った。

森美術館での建築展と同じように、大規模な模型が展示されていたが、素材は段ボール。(製作は大学の研究室とあった)段ボールを使った立体作品も作ったマッタ=クラークへのオマージュとして選ばれたのだと思うし、建築と都市に対して彼が一貫して持ち続けた姿勢に鑑みて、工芸品のような模型ではたいそう不似合いでもあったろう。

写真で、映像で、様々なパフォーマンスで、都市の片隅を占拠し、建築を切り取り、かち割り、穴を開けることで、マッタ=クラークは建築に都市に語りかける。よそよそしい顔をするな、こっちを向け、我々の声を聞けと。建築家や都市計画者が、建築を「作り出した」側が、意図することはおろか気付いてもいなかったような建築の可能性を開いてみせる。その冷淡をその過失をその矛盾を疎外を突きつける。マッタ=クラークはコーネル大学で建築を専攻している。だから決して建築の「外部」にいたわけではない。それでいながら、これほどまでに鋭い批判的態度を持ち得たことに何よりも驚かされる。

こう言ってはなんだが、「建築」の世界は、その中にどっぷりと浸かっている限りは、とても甘やかで心地よい。建築クラブのメンバーはえてして行儀よく礼儀ただしい。お互いの業績やアイデア、努力を称え合うことには躊躇しないが、間違っても公の場で批判を叩きつけるようなことはしない。(もちろん建築クラブの中にはきっちりとした階級があって、学生を含めた下っ端に対する態度は… まあ、その話はまた機会があれば)

IAUS (Institute for Architecture and Urban Studies)の学長だったピーター・アイゼンマンにIdea as Modelと名付けた企画展に参加するよう招待されたマッタ=クラークは、会場の窓を割り、そこに窓が割れたままになっている建物の写真を貼り付けるという形で答えた。当時ニューヨークという都市が直面していた住宅危機に関して手を拱くばかりだった建築業界に対する痛烈な批判であったというが、オープニング前夜にマッタ=クラークの写真は撤去され、割れたガラスは取り替えられ、展覧会は何事もなかったかのように(そしてマッタ=クラークなど招待しなかったかのように)初日を迎えた。* 

マッタ=クラークの作品というとBuilding Cutsと呼ばれる建物に様々に穴を開けたり切り取ったりした作品群が何よりも有名なのは、その規模の大きさとユニークさ、スペクタクルが好まれているという以外にも、そう言った「事情」があるのかもしれない。建築に対する建築的な問いかけとでもいえばいいのか。今回の近美でのレトロスペクティブで壁一面を覆い尽くしたWalls Paper(NYの廃墟と化した建物の写真を新聞紙の上にプリントした作品)**をはじめ、都市や建築やその担い手たちに疎外された人やものの存在を可視化した作品はどうにも気不味く扱いにくく、問われた側は居心地悪く、その分だけ陰になりがちなんじゃないかと思う。

だからこそ、建築を生業とするものは、そういった彼の批判にこそ耳を傾けねばならない、彼の言葉を噛みしめねばならないと思うのだが。

「建築の日本展」が建築に関する講義であったとすれば、こちらはマッタ=クラークの作品を通して私たちはどう都市と、建築と、ひいては社会と向き合っていくかのといった静かで厳しい考察の場であった。建築の内側に立つものとして、得るもののの多い素晴らしいエキシビションであった。

* An Architectural Perspective: Conversation with Philip Ursprung
** Gordon Matta-Clark, Walls Paper, 1972