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大阪暮らし

帰国して146日。20週間と2日。4ヶ月と15日。

帰国してからひと月ほどは妹の家に厄介になっていた。それから両親との同居を経て、ひとり暮らしを始めてほぼ1ヶ月が経つ。初めて住む街をうろうろと散策に忙しい毎日だが、先日、緩やかに巻きあげたターバンとアフリカンバティックに身を包み、赤子を抱いた黒人女性とすれ違った。ゆったりとした音楽のような足取りで優雅に進む彼女を先導するように、小学生ぐらいの黒人の少年がふたり、空っぽのベビーカーを並んで押していた。ああ、と、突風のようにホームシックネスが襲い、道を挟んだこちらから、思わずひょこんと会釈をすると、彼女は貴婦人のようにゆっくりと首を傾げた。嬉しさに、あまりの嬉しさに、踊り出したいほどだった。

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大阪でCOVID-19と付き合う日々のことも日記に書いて残そうと思っていたものの、25年ぶりに日本に「暮らす」日々のもたらす驚きや戸惑いや喜びや切なさは、COVID-19禍を上回るパワーで「私」を引っ掻き回していて、「申し訳ないけど、それどころやあらへんねん」状態だった。

日本に居なかった間に変わってしまったことも、忘れてしまっていたことも多くある。ここしばらくは、少なくとも年に一度は帰省していたこともあって、するりと乗り移れると思っていたが甘かった。住民登録、住民票交付、転出届、転入届、国民年金加入、国民健康保険減免申請云々と何度も役所に足を運び、その度に番号札を取っては窓口に並び、次の窓口へ向かっては番号札をもらうことを繰り返しながら、30年間何も変わっていないことにも驚いている。

そして、もっともっと繊細でいて重要な差異は、そこかしこに潜んでいる。挨拶の声音や、並び立つ際の距離感や、視線を逸らすタイミングや。私は、無骨で不器用な手足を持て余している。訪問者の視点と生活者の視点では、見えるものの色も形もテクスチャーも微妙に、でも確実に違っていて、眼鏡をかけずに外出した夕暮れ時のように、一歩一歩確かめつつ日々を送っている。好奇心と、発見の喜びと、緊張感と、「やらかしてしまった」後悔と。ぐったり疲れて床に就く。

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もうひとつ、大きく変わったことがある。ひとり暮らしに戻ったとはいえ、家族は近くにいて、いまのところ私の日々を成す大きな部材であることに変わりはない。考えてみれば、「家族」のいる生活、「家族」の一員としての生活をおくるのも、随分と久しぶりだった。そして「家族」がいることで「社会」との間にこれほど大きな緩衝地帯が生まれるとは思ってもみなかった。いや、気付いてはいなかった。あの、「社会」と向き合っているときの、組み合っているときの、否応なく顔を突き合わせているときの、ひっそりと身を沈めているときの、中でもがいているときの、あのひりひりとするような肌触りが消えてしまった。

ひょっとしたら、私が「英国」だと思っていたものは「独りだ」ということで、「日本」だと思っていたものは「家族がいる」ということではなかったろうかとさえ思う。

そんなこんなで、時間も心の余裕もなくこの日記/ブログもすっかり止まってしまっていた。大阪での自主隔離な日々も書いて残しておかねばとは思ったが、高齢の両親を守るように暮らす日々は、COVID-19との関わりをあまりにも私的なものにしてしまい、このような場に残しておくのは気が進まない。なので、自主隔離な日々の記録は、次に英国と日本間の移動の様子を記して終わりにする。ただしこのブログはこれからものらりくらりと続くだろう。大阪と私の日々の記録が始まる。もちろんそこには重要な脇役としてCOVID-19も顔を出すだろう。

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また、ぼちぼちと、よろしゅうお願い申します。