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頼れない私の無価値感


⁡起きる事実はすべて、自分に何かを見せてくれている。



⁡人に得意と不得意、長所と短所があるように、良いことが起きてもも悪いことが起きてもただその事実の中で、自分の成長となる部分を淡々と活かしていくだけだ。泣いたり喚いても仕方ない。次どうするか。それをどう活かすか。ただそれだけ。

本気でそう思って生きてきたから、日常での困り感や悩みを聞かれると、本当に心に耳をそばだてて聞いてあげないと出てこない。『こんなこと、なんてことない』。これがベースで、深くマイナスな感情を味わうことをしてこなかったんだと思う。なんでも良い変換ができるし、それが私の得意技、それが私を救ってきた。


でも、その無くしたように見える感情は、反動となってときに私に分かってよと泣いてすがってきたりする。


⁡海外暮らしというと、日本との生活と比べてどうですか?すごいですね!大変なことはないですか?と聞いてくださることが多いんだけど、大概見つからない。本当はあるんだろうけど、日々の小さな何か。でもなかなかに言語化ができないし、大体笑い話。
それははじめて日本以外に住むとなったところでローカルにぶっ込んでいったわけでもなく、ただただ私は恵まれた環境で暮らしているから、こんなことどうってことないって、また自分のことや起きていることを小さく見ていたりする。



“海外ぶってる” だけかもなと思うくらい毎日があまり変わっていないのは、英語をそこそこ理解できる自分の今までの努力や、国籍や人種、宗教に全くボーダーを感じない自分の価値観も大いにあると褒めてあげながら、こちらの文化のひとつでもある『メイドさん』『ドライバーさん』『セキュリティ』etc...たくさんのサポートのおかげであることは言うまでもありません。病院のお薬だって本人が受け取りに行かなくてもドライバーさんに取ってきてもらったり、何か物をピックアップして運んできてくれるだけのサービスなんかもあったりします(これ本当便利すぎるんだけど日本ではありえないサービスだから使いこなせてない)。




そこで日々困るのは、実は一番わたしの苦手な【人に頼ること】。これ一番、海外暮らしでわたしは試されていると日々感じている。正直苦しいくらい、自分でやってしまった方が楽なことがたくさんある。依頼するときの言語的な負担はもちろんだけど、前提として彼らは仕事はできる。とても人には恵まれていて、よくある人的ミスもほとんどない。嫌な顔もしない。彼らはボランティアでもなくお仕事でこのことを担ってくれているのだ。そして家族の一員だ。にも関わらず、今まで強固なわたしの中にある【日本ではみんなやってる】【人に頼ることは他人の時間をもらう悪いこと】【自分でできることをやってもらうことは自立していない怠惰な人間】【誰かの力を借りないと生きていけない自分は価値が低い】という自尊感情の部分がわたしを苦しめていた。
結果、ひとりで抱える方が楽、ということになる(無価値の自分は一旦みなくてよくなるから)。


頭ではそんなことで無価値になるとか、怠惰になるとか、そんなわけあるかい、と思いながら、誰かにお願いするとき強烈にブレーキがかかる。なんとか自分でチャチャっとやっちゃえないか。と思ったり、誰かにお願いしてまでしてする必要あるか?って自分会議が始まる。
そんなブロックがない夫(お願い上手)からしてみれば、なんで言わない?言えばすぐしてもらえるのに(しかも喜んで)、という違和感しかないと思う。


そして、【日本ではみんなやってる】。みんなって誰なのか?この誰かわからないもやもやっとわたしたちを取り巻く大衆の存在の大きさが、日本という文化の中でしこたま私に刷り込まれた概念だなと思い知らされる。この一言が、どれだけの人を苦しめているかと、子育て支援の中でも多く出逢う場面でもある。

こちらに来てからの日本人ベースで言えば、日本人はみんなメイドさんやドライバーさんがいて、お手伝いに入ってもらう。それも【みんな】なのにね。



自分に厳しくすることが美になりすぎていて、本当の自分の気持ちやキャパシティ、人生の限られたリソースの中でできることなんて知れているのに、それを最大限に活かせない理由は、実は国の制度とかの前に、自分の中にあるのかもしれない。制度があっても、サービスはあっても(そして価格も良心的)、そのときはこんな気持ちになるんだよということを私自身がいま体感している。


人に頼らないこと、頼れないこと、頼ることで出来ない母だと自分を評価してしまうこと(そう思われるのではと恐れることも含む)。
みんなやっているからと、頑張って頑張って、それが結果として産後うつやその他の問題、お母さんやこどもたちの生きづらさになってしまうこと。

子育ての中での困りごとや、困っていなくても集うことができる。頼れる安心安全な場所や人をどのお母さんにも選択肢のひとつとして知ってもらい、みんなで子育てしていきたいと切に願っているからこそ、今この私の根っこにあるものをより深く知っていくことで、日本のお母さんたちにより心の負担なく頼れる何かを生み出せる本質的な形をクリエイトできるかもしれないと、ちょっとワクワクしています。

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