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置き去りにした私を迎えに行く。


私は私を置き去りにしてきた。
それがいつ、どこになのか
はっきりとはわからないけれど
おそらく、この10年くらいの間に。

とにかく、私は、今の私の隣にはいない。
本当の私とか、自分探しなどの類ではない。
本質的に私がいないのだ。

これまで自分の意思を
願いを、夢を、そして
日々のささやかな希望を
少しずつ無視してきて生きてきた。
そのツケが
35歳を過ぎて回ってきているように思う。

30代後半になると、これまでの経験や考えが点と点として繋がってくる。
そしてそれが事実としてどんどん自分に落とし込まれていく。
自分自身のことや、人生の様々なことについて「そういうことだったんだ..」
と、絡まった糸が解けるような、主観と客観が落ち合うような感覚が実感としてある。

これは、私にとっては怖いことでもある。
ぼやけてはっきりしていなかったからこそ
絶望せず済んでいたことがあって、そしてそのことが私を守ってくれていたはずだから。

離婚をしたからと諦めてきたこと
もう若くないからと諦めてきたこと
太っているからと諦めてきたこと
お金がないから
体力がないから
キャリアがないから
そう思う度に、私が後退りして離れていったこと

そして、そのことが
今の私の所在のなさに直結していること。

誰かに言われたのではなく
考慮の余地もなく
これは紛れもない事実なのだ。

私の取り戻し方を、今必死に探している。

どこかにまだきっといるはずだから。



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