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ねえ、ねじまき鳥さん、〜村上春樹のことなど微塵も知らないのに、の話。〜

これは、世界がコロナに飲み込まれる、ほんの少し前に書きかけたもの。

2020.2.15に観劇した「ねじまき鳥クロニクル」を観た興奮と
そのままおぼつかない足で2回目のチケットを買って、まさかそれが観れなくなるなんて微塵も思っていなかった時の記憶。

そして中止が決まった後に少しだけ加筆した記録。



学生の頃に偶然観に行った『100万回生きたねこ』
そこですっかり彼女の作品に魅了され
大人になってしばらくしてからの『羅生門』
そして今回の『ねじまき鳥クロニクル』

インバル・ピント作品は全部観てるけど
今回が一番、自分が追いついて「見るべき時に観た」感じがした。


言葉と身体、痛み、意識と無意識。

インバル作品はいつも四角い舞台から、果てしない奥行きと深さに連れて行かれる。

大友良英さん達の生の音楽も、本当に素晴らしかった。


「この世界は空っぽだ」とか、
そんなことを思うようになったのはいつからだろう。

なんてことを観劇中にふと思ってしまった。

村上作品は読んだことないのに、
怖いくらいに自分が吐き出している言葉に重なるものが出てくる。

私の中に生まれた時から
村上DNAが刷り込まれているんじゃないかと思うくらい
なんだかふとした言葉にぞっとして。

それがどんな言葉だったか、どのシーンだったかも覚えていない。

それくらい、舞台の上の世界の中に、自分が透明になって溶け込んでしまっているような

あるいは今舞台の上で進んでいる物語が、自分の身体の一部になっているような

そんな境界線のない、不思議な感覚だった。


その正体を解き明かすために、
必ずもう一度、この舞台を観なければいけないと思った。

それから小説に手を伸ばそうと思った。


さらに、丁度次に自分がやろうとしていたことに綺麗に繋がる演出が立て続けに舞台の上に現れて
私は予知能力があるのかとすら(たまにそう思う出来事がある)。

椅子、テーブル、電話
部屋、そして言葉たち。


知らない鳥肌に包まれて、全部それでいいと言われてる気がした。



ふわふわした足取りのまま階段を降りて、
朦朧とした意識でリピーターチケットを買い

忘れるはずのない大荷物をクロークに残したまま帰ってしまった。



あと、個人的に渡辺大知氏の歌がめちゃめちゃぐっと来て

ロックバンドのフロントマンが
今、あの舞台の上で、あの身体で、あの存在感で。

その姿は、自分の目にとても美しく映った。


目撃できてよかった。




もう一度行くはずだった公演が、中止になってしまったことが心苦しい。

いろんなライブが中止になってて、それは当然仕方のないことなんだけど

それがなんだか芸術や表現がない世界のはじまりみたいで
なんだかぞっとする。

そんな世界は生きてる意味ないなと思う。




明日はいい歌が歌えそうです。

早くこの現実がいい方向に向かいますように。


2020.3.6


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