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初めて後悔したことと、クラシックの話。〜Gnuはもうすぐ大きな群れになる〜

熱に浮かされながら長い間途切れとぎれに見た夢は、なんだか楽しいものばかりだった気もするが
ようやく意識もはっきりとしてきた昼下がり。

温かい出前が一足早く届いたというのに頭の中では勝手に一人語りが始まってしまっている

私の脳内に潜んでいる"饒舌な私"が勝手に自分語りを始めるのはよくあることで、一言目が始まるともうそいつの話は止まらない。

私の筆も私自身の意識も私の心の準備も追いつかないまま、勝手にものすごいペースで進んでいく。手で書きとめる作業がいらないから、まるで架空のインタビュアーに自分の物語をそれらしく語るロックスターのように。

そいつが突然しゃべりだす時は、大抵何か引き金になるものが私の奥深くに触れている時だ。


数ヶ月前からやたら気になっていたKing Gnuというバンドが、メジャーデビューアルバムを出した。
このバンドの首謀者に数日前からいろんな感情を引っ張り出されている

首謀者の常田氏は長野出身の藝大出身(key井口氏も)
藝大は中退しているが、小澤征爾のオケに在籍したりもしていたよう(いくつかのインタビューを読み漁った感じだと。)

こんなにセンスと行動力のある年の近い奴らが同郷だと!?長野の大事件だぞこれは!!とテンションが上がったのも束の間

クラシック畑の人間がこんなにかっこいいロックバンドを作れるのかよ…
もし藝大に行っていたらこんなヤバい奴らに出会えていたのかも…などと
初めて自分の過去の選択にちょっとだけ後悔を感じたのでありました。

パッと見、自分が捨てた道を華麗に歩んでめちゃ成功している、ように見えてしまったのです。彼のこと何も知らないのに。


ここで少し自分の昔話をすると。

たまたま中学の部活見学でオーボエという楽器に出会ってしまったマリエちゃん。その楽器がバッチリ自分に合っていたようで、練習するだけ技術は伸び、正直あまり苦労せずに吹奏楽という世界で、音楽というツールで居場所とアイデンティティを確立していきます。
(ここで吹奏楽に出会っていなければおそらくグレていたと思うので、吹奏楽には本当に感謝しておる

幸運なことに、高校もまた吹奏楽部が恵まれた環境にあり、そこでも全国大会出場でソロを吹くなど、吹奏楽一色の生活をしていたわけだ。

もうアイデンティティの大部分なので、当然そのままオーボエで大学に行こう、となるわけですが、いろんな事情があり(納得いかない不条理もあった)一浪することとなります。

このタイミングで、プロの先生から「藝大に言ったらどうだい?君なら行ける。」と勧められるわけなんですが、
改めて一人でレッスンに向き合い、形式ばったクラシックの空気や、古い体制(そんなものあるか知らないが)の匂いをなんとなく感じ取ったり、そもそも再現音楽というものが肌に合わない気がして、
クラシックはもういい、ときっぱり決別してしまいます。

まっさらな自分になってちゃんと好きなものを探すために。

そして東京の大学へ進学、そのまま社会人になり過ごすけれど、
どうしてもバンドがやりたくて、始める。今に至る。



当時の自分の勘は間違っていないし(ずっと小さな箱の中にしかいなかったわけだから、その判断も当然だ)
過去をどうこう言うつもりもさらさらない。

これは無い物ねだりだ。

遠回りをしている自分に対して、音楽漬けで生きてきて自らの手で全てを動かしている彼に対する憧れであり嫉妬であり。

彼はきっと私が想像できないような世界で生き抜いてきただろうし、
逆に私も自覚のない恩恵(最たるものとしてリスク回避が挙げられる)をたくさん受けてきているだろう。

自分の選んだ道を進むしかないのだから、自分は自分のやり方で進んでいくしかないのだ。


だが、本当にクラシックは、形式ばっていて古い体制で自由がないものなのか?
答えはNOだ。だってこの身をもってそれを確認していないのだから。
そしてクラシックの素養や感性をも味方につけて化物のようなバンドを作り上げた男がいるのだから。

今までクラシックは"別物"として箱の中に入れて鍵をかけてしまっていたけれど
彼の存在を知って、
ロックだってポップスだってジャズだってクラシックだって
そんな括りはどうだってよくなるほど、
音楽の海はどこまでも広いし、世界も思っている以上に広いようだ、と
なんだか雷に打たれたような気がした。

凝り固まったイメージや偏見は早く捨てることだ。
自分の肌で、この身を持って感じられたことだけが本当のことだ。

当時クラシックを遠ざけたのは、確かに自分の肌で感じたことだ。きっと間違っていないし後悔もしていない。
ただ、そのままずっとクラシックはもう不要と決めつけてその先を歩むのはおそらく視野が狭いしもったいない。

今の私の耳でもっとオケを聞こう。
ずっと離れていたオーボエも吹いてみることにしよう。ちょうど演奏する機会のお誘いがきていたところだった(高校の吹奏楽OB定演が周年らしい。)

今の私が聞いたら、演奏したら、きっと全然違うものになっていると思いたい。それだけ私はあの頃から変わったつもりだ。

ああ、長々と書き起こしているうちにさっきまで暴走していた"饒舌な私"はもうどこかへ行ってしまった。書き損ねてることがないか見てくれよ。
もっと他にもあった気がするのに。

全く言葉は浮かんですぐに消えてしまう。本当に蝶のように飛んで行ってしまうね。

だから言葉は尊くて、その人が滲み出て、人の何かを動かす力がある。


さて、冷めてしまったオムライスを食べることにしよう。



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