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”出る杭打たれる”より”出すぎた杭は打たれない”人になると超、楽。

こんにちは。
ねんどのてらこや©のまりこです🌿

ICA国際クレイセラピー協会加盟校「ねんどのてらこや©」を主宰。
”クレイを伝えるなかの人”+クレイセラピスト育成とアーシングアートクリエイターとしての活動の傍ら、2021年、クレイを伝える人のためのコミュニティ「ねんどのてらこや」創設

今日は朝から買い出しに出たり
調べ物したりしていて
午後になってPCに向かう時間が取れました。
曜日関係なく暮らしているとは言え
日曜日は休日モードになりがち。

休みたい時に休むし
働きたい時に働くので
氣が赴くままに暮らしています。
やる氣が出ない時は
本当に何もせずパジャマのまま
ベッドの中でゴロゴロしたり
生産性のない動画を観続けたり
寝たきりの人のように
すべてのエネルギースイッチを
オフにして過ごすことも多々あります。

今日は朝から熱めのお湯を張った
クレイバスに浸かってシャキッとしたので
夕方まではデスクワークDAYです。

2014年春に脱サラして
今年で個人事業主として9周年。
10年目に突入するのですが
それ以前のわたしが組織に所属していた
時代のことをふと思い出しました。
(脱サラに向けて動いていた季節と重なるので)

25年ほど前、20歳で社会に出て
10回以上の転職を繰り返しながらも
”会社員””契約社員””派遣社員””アルバイト”
雇用形態はそれぞれですが
15年ほど”雇われる立場”でした。

大手企業に勤めたことはなく
多くても30人以下の組織しか
経験がありませんが
どこに居ても”出る杭打たれる”
代表的なタイプでした。笑
可愛がってくれる人もいれば
煙たく感じる人もいるという
社会の構図の一部ですが。

特に最後に勤めた広告制作会社は
設立直後(半年後くらい?)に
中途採用として中途入社をしたのですが
その当時の社員はたった3人。
広告代理店上がりの社長が創った会社。
わたしが4人目の社員でした。

最初は、社長も「俺はベンチャーの社長」という
風を吹かし、自由な社風だ!
みたいなスタンスを演出していましたが
元々は半官半民企業のお抱え代理店出身なので
世間体、ルール、体裁が大好き。

独立=自由なオレ。

でも、中身はまったく逆。

生産性のない定例会や会議が当たり前だったし
”こうじゃなきゃいけない”の看板を
背負っているような人でした。
ワンマン社長だったので周りの社員も
イエスマンしかいない。

(ちなみに人柄を否定しているわけではなく、仕事や組織への向き合い方の面だけです。BBQとかにいたら盛り上げ役だし、普通にいいお兄さん。笑)

ただ、わたしは鬼のように
転職を繰り返し
特に小規模の会社を渡り歩いてきたので
トップとの距離も近く
クライアントとも直接
信頼関係を築いてナンボの仕事をしてきたので
俯瞰して見る癖もついていたのと
自分の意見をストレートに伝えるので
ぶつかることも多く
どちらかというと否定されることが多かった。

”ちょっと出る杭は打たれる”

典型的な環境。

会社が成長することを願っていたし
(業績が給料や福利厚生などに直結するから)
少人数の会社なんだから
社員全員が幸せになるような
組織作りを目指したい
その一心で、誰もNOを言わないのなら
わたしがその役を買うわ!
くらいの若氣の至り的なエネルギーで
丸3年在籍しました。
(その3年の間に過重労働+ストレスで精神崩壊直前まで行きましたが)

唯一、ベンチャーっぽいなぁと思った部分は
頑張ったら、
クライアントからの受注が増えたら、
クライアントからの信頼を得たら、
ちゃんと評価を給料に
反映はしてくれていたので
その点はありがたかったし
モチベーションにも繋がりました。
広告業界未経験の中途採用が3年でいただけるような
(営業ではなく営業補佐、広告ディレクションだけ)
額ではなかったので感謝はしています。
(寝ずに頑張りましたからね)

たった3年の在籍の間でも
社員は増え、後輩が増え
いつしかリーダー的、マネージャー的
立ち位置に置かれることが増え
これまで社長に提言していたことも
受け入れてもらえないどころか
まさしく”出る杭打たれる”人は
こういう人ですよ〜扱いを受けるように。

一番つまらないなと感じたのが
クライアントとの定例会議に参加した際の
わたしの服装にケチをつけてきたのです。笑

オフィスカジュアルOKの会社だったし
長年営業職を経験してきたので
TPOはわきまえているつもりです。

スーツは着ないけれど
それに準ずるジャケットを着たり
スラックスっぽいパンツや
バランスよく見えるタイトスカート
(10年前なので。笑)に
今ではとても履けない9cmピンヒールで
シャキッと立っていたし
指摘されるまで同等の格好で
定例会に出ていたのですが
或る日突然です
「たぐっちゃん、そのパンツ、Gパンだろ。止めろ。」
と、言われて驚愕。

ちなみにGパンじゃありません。笑

何度も召していたコーディネートだったけど
きっとわたしに対する”何か”が
蓄積されていたんでしょうね、
社長の中に。
ビジュアルを攻撃してきた。

まだ30代前半だったわたしですが
意に反することもしなければ
特別変えようとも思わず
しょうもないな〜と思っていたくらい。
(生意気というか冷めていたというか。笑)
ちょっと人と違うことをしたら
ちょっと意見を言ったら
こうやって杭は打たれるんだ
ということを身を持って経験したのです。

あ、じゃ、ちょっと出た杭だと
打ちやすいんだったら
出すぎた杭になったらいいのか。
と、抑えていた自分を解放し
それで居場所が無くなるのであれば
それはそれだ!と決めたのです。

結果、自分で自分の道(クレイセラピスト)を
見つけたので、排除される前に
自ら卒業しました。
その業界の先輩たちは常に尊敬していたし
あの会社に入っていなかったら
今のわたしは居なかったと思うので
感謝しかありませんが
彼らの全くの未境地に転身(出過ぎた杭)すると
何も言われなくなりました。
おかげで?最後の3ヶ月は引き継ぎ優先
わたしが現場の最前線から退き
8時間拘束のうち仕事していた内容は
過重労働時代の1/100ほどで
出社して、チームから上がってくる報告や
相談に返して、お弁当食べて、定時で上がる。
こんなんでお給料もらってていいの?
というほどの時を過ごしました。

中途半端に出た杭になると
余計なストレスがかかるんだということが
わかったことが大きな氣付きでもあり
自分の本質が理解でき始めた
良い機会でもありました。

基本的にわたしは争いごとが嫌いだし
人は人、個性を尊重し、
それぞれの強みを活かし
チームを組めばいいと思っている人間なので
「まずは聞く」スタンスであり
自分から喧嘩をふっかけるような
意見の仕方はしません。
自分がそうできていないからこそ
そういうことができている人間を
疎ましく感じてしまうのかな?と。
トラウマや責任感の塊からくる
心の在り方が全てを左右するんだということを
学べた機会だったなと
10年経とうとしている今
急に思い出し、筆(PC)を走らせました。

「”出過ぎた杭”になるとめっちゃ楽に生きられるよ」

という生産性のないお話でした。笑


いつも最後まで読んでくださってありがとうございます。いただいたサポートは次のサポートの循環を生むこと、世界中の子供たちの笑顔のために循環させていただいております◡̈⃝︎⋆︎*