見出し画像

恵比寿時代の話

 恵比寿には26歳ごろ、冬休みを挟んで1ヶ月にも満たないくらい、数週間だけ通っていた。私の社会人人生の中で、特定の場所に通った最も短い期間だった。

 当時の背景は、SES会社に転職した後、提携先の上位会社で3ヶ月間、C言語の研修を受けて、配属先のプロジェクトが決まるまでの間、その上位会社で待機するという状況だった。私のおしごとは、上位会社の営業さんが探してくれる。IT業界は、知っている人は知っているが闇深多重下請け構造なので、そこら辺の細かいところはごにょごにょ…しておく。

 一応、第二新卒という名目で未経験職種に転職したが、研修でも運良くそこそこついて行けて、なかなか、研修時代は楽しかった。複数の会社から、同世代の色んな背景を持った人たちが来ていて、彼らは(10人いて、女は私だけだった)、私の人生における第二の同期だった。ちなみに研修自体は恵比寿時代ではなく、渋谷時代である。自分の中ではそういう区分けである。
 で、その研修には地方採用の人たちもいて、研修が終わると彼らは各地に帰ってしまった。恵比寿に残ったのは、一緒に研修を受けた仲間のうち、東京採用の数人だけだった。

 この数人が、それぞれプロジェクト先が決まるまで、同じフロアにばらばらに配置された。私はとあるチームに形だけ入れられ、そこの仕事はしないが、C#を自分で勉強しつつ、中堅の人にちょっと面倒を見てもらった。以降、ほぼこのときの知識で4年間食っていくことになる。…成長なさすぎ。
 オフィスは今思い出してもなかなかないくらい、すごく静かだった。ほとんど終日、誰も喋らなかった。まだ何も生み出していない私たちは、定時の帰り際に、「今何やってるの」なんてお互い情報交換しながら、本当は誰が先に配属先が決まって抜けるのか、多分ちょっと探り合っていた。

 恵比寿は、さすがに恵まれていた。なにがってランチがだ。地上に降りればキッチンカーが停まっているし、コンビニも飲食店もカフェも、ちょっと歩くだけでいくつもあった。短めの昼休みに一人でちょろっと外に買いに行って、別になんにも面白いことはないけど、ただ"今日は新しいパンプスだからいい日"みたいな、そんないかにも独身な?感覚で生きていた。

 しばらくすると、私は無事、大崎のプロジェクトに入ることが決まった。他の人より遅かったのか早かったのかはよく覚えていない。静かすぎるオフィスが嫌だった私は、多分安心したんだと思う。恵比寿に戻ってこられないことの未練も、全然なかった。

 でも、今になって思うけれど、ほんとに、いい会社だったんだよね。研修を受けさせてくれた上位会社も、自分の会社も。あの時はほんとに、どっちも、心から信頼していたし好きだったんだよね。
 最後は上位会社との関係が切れてしまったし、同期のみんなが今どうしているかも分からないし、私なんかは会社を辞めているわけだけれど、でもほんとに、あの頃は今思えばきらきらしてたんだなあと。
 そういうことを、私は夫が、ゲーセンの"電車でGO!"で原宿〜恵比寿間を運転しているのを後ろから見ているときに(子供なのかな?)、ふと思い出したのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?