8/18 今日の気になった話題③

こんばんは!今日は好きなアーティストの生配信ライブ&ラジオ&配信と完全に息抜きDAYになってしまいましたまりぼーです!😅


今日はいつも読んでる神戸新聞の朝刊の中で、珍しく論考のコーナーに関心を持ちました。しかしながら、自身の予備知識が少なく、前回、前々回とは違って完全に感想になってしまうことをご了承ください。


今年の7月23日、テレビの報道番組でも多く取り上げられていた為知っている方も多いと思うが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者に薬物を投与して死なせたとして2人の医師が逮捕された。

患者が生きたくないという希望を伝えていた点から私はずっとこの事件を安楽死が認められていない日本で実行してしまった、だから医師たちが逮捕されるのはどうなのかと思っていた。しかし専門家によるとこの患者は死期が迫っていたわけではないので『安楽死』とは言えないそうだ。また、医師の1人は「扱いに困った高齢者を『枯らす』技術」という電子書籍を以前書いていたそうだ。

そのことも踏まえて新聞の記事では医師たちに「優生思想」があったのではないかとの指摘や、逆にそういった思想は今回の事件には当てはまらないという意見が出たことを紹介している。

それから優生思想の歴史をドイツのナチス政権での法律などを交えながら紹介している。

私は特に最後の段落の

''「重荷」回避のために生きる価値のない人を死へと導くことをいったん許せば、やがて堤防が崩れるように、社会から疎まれる人たちが次々と見捨てられていくかもしれないという想像力を、私たちはけっして失ってはならないのである。"

という文章が心に刺さった。たしかに当たり前のことだが、『安楽死』と自殺は生きることから逸脱する行為つまり死ぬことをを最終的に他人が行うのか自ら行うのかで大きな違いがある。今回の事件については当事者ではない為実際のところはわからないが、もしかしたら患者は最後意識を手放す手前でほんのわずかでも死にたくないと思ったかもしれない。その時に方法にもよるが自殺ならそのほんのわずかな思いが生きることに繋がったかもしれない。しかし、安楽死の場合それができないんだということに気付いた。そのため本当に安易に賛成するべき問題ではないなと感じた。

また、1度安楽死を許してしまえば人間にとって1番大切な生きるということから簡単に逃げてしまう人も増えてしまうということも中々安楽死を承認できない理由なのではないかと考える。




今日の話題は本当に浅い知識しかない分野だったので非常に書くのに苦労しました。

実はあまり人に言うことではないのかなとは思うのですが、自身の実の姉が去年の春に自殺未遂を犯したんです。(この話についてはまた今度自分なりに社会学的に考えたものを投稿します。一つ確実に言えるのは姉はアノミー的自殺を試みていましたので今はもうすっかり切り替えて普通に過ごせています)リストカットによるものだったのですが、姉は結局死に至る深さまでは刃を入れなかった為今も元気に生きています。なので余計に患者は最後まで死にたいという気持ちに変わりはなかったんだろうかと思ってしまいました。



今日のふりかえり

配信の誘惑に負けてしまった〜明日もあるけど絶対に見ない!そして中ゼミほんとに明日こそは!!!!

早起きするぞ!✊🔥


ドロン!!!!



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