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産むを考える

突然だけど、旅の記録から産むの記録へと変更したいと思う。

単純に人生を軌道修正せざるをえなくなったからなのだけど、ちょうど半年前まではスカンジナビア半島からモロッコまでを旅していた。まだまだ旅を続けるぜ、と思い込んでいたけど、人生はそうは問屋を下ろさなかった。

人生数周回遅れで、レールを外れたこともあり、齢38。もうとっくに高齢出産の年齢だ。友人の話やインターネットの記事をみて、不妊治療も視野に入れないといけないのではないかとモヤモヤしながらも、もうすこーーーーしだけ自由でいたい!やりたいことがある!という欲求との間で板挟みだったけれど、そんなときに赤ちゃんがやってきてくれた。

とはいえ、すぐに「わたしはお母さんになるのね!」など母性が出てくるわけはない。少しずつ、ほんとうにすこーーーしずつ、おなかの中の生命と向き合っていく日々だと感じている。

自分が変化したことの一つが、涙もろくなったということだ。

これは、夕焼けがきれいで涙する、というたぐいではなく、赤ちゃんの様子に不安を感じると、自動的に泣いてしまうのだ。

つい立ち話が長くなり、おなかが張った感じがすると涙がぽろり。家具もそろわない新居のせんべい布団で、固い床にお腹が当たる感じがするとぽろぽろ。自分の不注意の時も多いにあるし、普通に大人然として対処すればいいだけのときも、そうはいかない。

今朝も、起きてからふと昨晩から胎動をあまり感じていないことに不安が頭をもたげた。昨日は4日間の出張から帰りついて、くたくた。すぐに寝てしまって、胎動を意識する間もなかった。インターネットには、「1時間感じない場合は病院へ」とある。布団の中でジッとして、おなかに手を当てて待った。ごにょごにょ。たまにかすかな動きを感じる。いつもより弱い気がするけど、大丈夫だろう!

午前中は、何週間も前からセットされていた会議が控えていた。大丈夫と言い聞かせて、会議へ。途中から、時計で1時間をはかりながら、おなかに手を当てて動きがないとじりじりし始めてしまう。会議の話も耳に入ったり入らなかったり。

正午、会議終了とともにすぐ病院へ電話。超音波を当てると、拍子抜けするほど、でっかい心臓の音ともぞもぞ動く生命が映っていた。「こんな動いていて、気づかないかねぇ」。受付時間後の急患に、迷惑そうな医師の一言。うう、でも感じなかったんだもん!

「遠慮しなくていいんですよ。気になったら、いつでもポコポコ(エコーの動いている様子)を見に来てくださいね」

精算しながら受付の方の一言に、涙が止まらなくなった。

その後は、お昼ご飯食べていても、おやつをむしゃむしゃしているときも、横になった時も、絶えず「ポコポコ」と元気に動く。

あぁ、今になって…!と思うも、この4日ほど出張でお腹の中の人に全然注意を払っていなかった自分に気づく。

考えてみれば、顔を見たこともないのに、元気がなさそうだからと自分を泣かせるほどの人なんて、人生でたぶんいたことない。いつものくせで、ついつい自分や仕事や外の世界に注意が向いてしまう。でも、あと5か月弱、おなかの中の人との時間を味わいながら過ごしていくのも悪くない。

こうやってほんのちょびっとずつ、おなかの中の人とよろしくやっていくようになるんだろうな。

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突然に始まった妊娠ライフ。産む場所探し、産むってなに?、何が起こるの???思ったことや考えたことなど、関係ない話題も含めて、つらつら記録していきたいと思います。

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