あーおもしろかったといって死にたい。というタイトルを見て
コンビニ行ったら「あー面白かったと言って死にたい」というタイトルが目に留まった。(注: わたしはこの本を読んだわけではない)
一瞬立ち止まる
なんだろうこの違和感...
そして無性に問いたくなった
"ん?死にたい?
そもそも本当に死にたいのか?"
わたしには、死ぬのはしょうがないからせめて後悔のないように、せめて楽しく面白くいい人生だったと思って死ねたらいいな、という諦めにしか見えなかった。
この世に「生」を持ったからには「死」は避けられない。そのことは疑いようもなく、誰しもがいづれ受け入れなくてはならないと思ってることだ。
もう「なんで死なないといけなのか?」という問いすら、口に出すことがバカバカしくなるほど、人間は当たり前に死ぬと思ってるし、なぜ死なないといけないのか?それに対する答えを得られないままだ。だからこそ考えることをやめてる。
それでも、時折ふと思い出すはず...
わたしはなぜ生まれてきたのか?
わたしはなぜ死なないといけないの?
これらは人類の永遠のテーマだ。
・
「死と向き合う」のはネガティブなことで恐い。だからこそ「死」に蓋をして「生」を求める。よりポジティブに。生きてるという実感を得るために、より楽しくて刺激的で、たくさんの仲間や成功を、そして幸せなパートナーや家庭を手に入れられるように頑張る。それこそが生きることだからだ。
まさに闇に蓋をして
光だけを追い求める生き方だ。
だからこそ死ぬ時にですら、せめて面白かったと言ってポジティブに終わりたい。そんな切なる願いが生まれる。
「それ以外の生き方も、死に方」も
本当にないのだろうか?
あるとしたら知りたいのだろうか。
知ったところで信じきれず
あきらめの概念の方が勝つのだろうか。
あの人は幸せだったよねと、人の死さえなるべく美しいものにして、死について考えることをやめるのだろうか。
病気にならないように健康を目指し
貧乏にならないように成功を目指し
人間関係が壊れないように自分を偽り
死んだ後も思い出して大切にしてもらえるように遺産や子孫、功績を残す。
でもあなたはいつか死ぬ。
病気だろうと、健康だろうと、一度死から生還しようと、奇跡が起きて事故から免れようと、死は必ず訪れる。だとしたら...
死のことはいつかわからない時が来るまで考えずに、これからもずっと生きるのか。
考えたとしてもより良い生き方、より良い死に方を目指して生きるのか。
有限の命から「無限の命」を創り出すのか
・
わたしの話になるけど、わたしはあー面白かったと言って死にたくはない。
もっと言えば、死とともに記憶も財産も友達や家族も全て取り上げられ、また最初から答えもわからない「なにか」をやり直すためには、もう2度と生まれ変わりたくもない。
生まれ変わらないといけない理由があるとしたら、それのために生きたい。そしてそれのためになら、死んでもいいなと思うよ。
あなたはなんのために生きてる?
全力で生きれてる?
全力で死に向かってる?
これは別に頑張って生きよう!
と言いたいわけではない
「生きる理由と、死ぬ理由が一致」したとしたらすごくない?って話。それこそ全力だよね。
無条件の愛と命と光を...
AIRI
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